
【衣】脱がせて、着せて、かぶらせて(ゼカリヤ書3章1節~5節)
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このコンテンツについて
序)ゼカリヤ書の時代背景
・バビロン捕囚からの帰還後、神殿再建の中断によって、民の信仰が冷えゆく時代。ゼカリヤは回復と希望の幻を通して、神の民の再生を語る。
・3 章の幻は大祭司ヨシュアが主によって「脱がされ、着せられ、かぶらされる」出来事。
1)ゼカリヤの幻:ヨシュアが脱がされ、着せられ、かぶらされる
・法廷の場で、ヨシュアは告発者サタンに責められるが、主がサタンをとがめ、ヨシュアを弁護する。
・火から取り出された燃えさし=神に選ばれ、さばきから救われた者。
・汚れた服(背き)を脱がされ、大祭司としての礼服(礼拝の務め)を着せられ、ターバンをかぶらせられる。
2)私たちが脱がされ、着せられ、かぶらせられること
・イザヤ 61 章、エペソ 4 章とも響きあう「衣を脱ぎ、衣を着る」救いのしるし。
・キリストによって罪が脱がされ、義と聖の新しい衣が着せられる。
・動詞は「中動態」=自らの意志によって脱ぎ、着る。「アオリスト」=主イエスによる一度限りの決定的な救い。
・キリスト者は、主の愛に主体的に応答し、繰り返し思い出しながら「キリストを着続ける」。
・逆風の中でも、キリストという衣は私たちを守り、温めてくれる。
3)私たちに栄冠がかぶらせられること
・ヨシュアがかぶったターバン=大祭司の冠。これは私たちにも与えられている。
・Ⅱテモテ 4:8、黙示録 2:10「義の栄冠」「いのちの冠」=主の前に立つ特権としての印。
・終末だけでなく、主の日である今日にも与えられている。
・告発者サタンの声に押しつぶされそうになる日常にも、キリストの十字架の救いが働いている。
・今ここで礼拝をささげる私たちは、すでに主の栄冠をいただいた者。
結)脱がされ、着せられ、かぶらせられた者として生きる
・私たちは、「自分だけが救われるため」ではなく、人々を神に立ち返らせるために衣を着せられている。
・私たちもまた、新しい神殿再建の働き人。礼拝を整え、人々が主に応答できるように仕えていく。
・主の恵みに応答し、主の前に出る特権に生きる者として、今週も証ししていきたい。