
大胆な祈りへ~すべてを始める 3 つの愛~(エペソ人への手紙2章1節~8節)
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このコンテンツについて
序)私から始めるのではなく、神様から始める
・神様の大胆な恵みを受け取る時、大胆に求め、従う歩みへ導かれる。
・罪のマインドは「私がこれをしたら、神様はどうしてくれるか」と考えさせ、小さな労力で大きな成果を生むにはどうしたらいいかという「取引」思考(≒神をコントロールする偶像崇拝)に陥らせる。
・すべてのことは神様の愛(アガペー)から始まっている。この愛を 3 つの角度から整理して学ぼう。
1)存在を喜ぶ“ユードキア(喜び)”の愛(1 章 5 節)
・神の愛は、存在を喜ぶものである。役に立つかどうかで測られない、存在に価値が認められている。無条件の愛、ありのまま愛されているということ。
2)必要を見過ごしにできない“エレオス(あわれみ)”の愛(2章 4 節)
・アダムが神に背いて以降、人類はまことの神に背く世界に生まれてきて、その背きをコピーしてしまい、神ではないものに従って生活している。そのため、からだは生きていても、霊的に死んでいた。
・そのような私たちを神様は「自業自得」として放っておかない。それがあわれみ(エレオス)である。
・相手の痛みを自分の痛みとして引き受ける覚悟を含んだ愛である。
・愛の反対は無関心と言われる時、この側面について語っている。
3)賢く与える“カリス(恵み)”の愛(2 章 7 節)
・人間の恋愛で描かれることの多い「奪う愛」「求める愛」と対照的で、相手のニーズを満たすために喜んで、賢く与えること。
・ニーズを見定められなければお節介になり、欲望との区別ができなければ、依存や支配、利用関係に陥る。
4)すべてを始め、養い育て、完成に導く愛(アガペー)
・聖書の言う愛は感情ではなく、意志に基づくもの。
・3つの愛が1つになった神の愛で愛されるところに、子どもたちの健全な成長があり、キリストの姿へと近づく成熟があり、神の国への変貌がある。
結)「愛されるだけ」の者から「愛されて、愛する」者へ
・成長とは、「愛されるだけの者から、神の愛をもって愛する者へと変えられることである。
・「愛すること」に夢中になって「愛されること」を忘れないようにしたい。「愛されること」を忘れると「存在を喜ぶ愛」が「理想を喜ぶ愛」に、「あわれみ」が一方的になり、「恵み」は枯渇してしまうから。