-
サマリー
あらすじ・解説
明治時代、欧米化の波にのまれそうになる日本人に、いかに生きるべきかを示した思想家のレジェンドがいます。
内村鑑三(うちむら・かんぞう)。
その名は聞いたことがあっても、いったい何をした人なのか、どんな思想を持っていたのか、明確に答えられる人は、案外、少ないのかもしれません。
それもそのはず、内村の生き方、思想は、混乱、混迷の連続。
札幌農学校時代に、キリスト教の洗礼を受けますが、アメリカに留学した際、キリスト教の在り方に疑問を持ち、反感を買う。
愛国心が人一倍ありながら、教育勅語の前で最敬礼をしなかったことが、社会的な大事件に発展。
どこにいても敵をつくり、どんな組織に入っても周りと齟齬(そご)を深め、退職、辞任、解雇。
転がる石のごとく、流され、ぶつかり、ひとつの場所に留まることができない、70年あまりの生涯でした。
群馬県の高崎藩士の息子として生まれた彼は、少年時代の一時を高崎で過ごします。
自然豊かな森や山、そして川。
特に渓流に足をつけ、川魚を見るのが好きでした。
素早く動く、美しい魚たち。
ある法則性がありそうで、自由で、シンプル。
内村少年は、そこで初めて、命がどこから来て、どこへ去っていくのか、想いを巡らせます。
数々の試練を経て、彼が思い至った結論は、「天地の理(ことわり)」と共に生きるということ。
ひとは、自分の価値観で生きる。
しかし、ともすれば自らの価値観にがんじがらめになって、身動きがとれなくなる。
そんなとき、視点をふわっと宙に放ち、天に預ける。
人間には誰しも、天が定めた仕事がある。
それを全うすること。
それこそ、命をいただいたことに対する恩返しではないか。
内村は、その考えを、二つのJから学んだのです。
ひとつが、ジーザス、キリストのJ。
もうひとつが、JAPAN、ニッポンのJ。
批判、非難、誹謗中傷の嵐の中、天命を全うした賢人、内村鑑三が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
内村鑑三(うちむら・かんぞう)。
その名は聞いたことがあっても、いったい何をした人なのか、どんな思想を持っていたのか、明確に答えられる人は、案外、少ないのかもしれません。
それもそのはず、内村の生き方、思想は、混乱、混迷の連続。
札幌農学校時代に、キリスト教の洗礼を受けますが、アメリカに留学した際、キリスト教の在り方に疑問を持ち、反感を買う。
愛国心が人一倍ありながら、教育勅語の前で最敬礼をしなかったことが、社会的な大事件に発展。
どこにいても敵をつくり、どんな組織に入っても周りと齟齬(そご)を深め、退職、辞任、解雇。
転がる石のごとく、流され、ぶつかり、ひとつの場所に留まることができない、70年あまりの生涯でした。
群馬県の高崎藩士の息子として生まれた彼は、少年時代の一時を高崎で過ごします。
自然豊かな森や山、そして川。
特に渓流に足をつけ、川魚を見るのが好きでした。
素早く動く、美しい魚たち。
ある法則性がありそうで、自由で、シンプル。
内村少年は、そこで初めて、命がどこから来て、どこへ去っていくのか、想いを巡らせます。
数々の試練を経て、彼が思い至った結論は、「天地の理(ことわり)」と共に生きるということ。
ひとは、自分の価値観で生きる。
しかし、ともすれば自らの価値観にがんじがらめになって、身動きがとれなくなる。
そんなとき、視点をふわっと宙に放ち、天に預ける。
人間には誰しも、天が定めた仕事がある。
それを全うすること。
それこそ、命をいただいたことに対する恩返しではないか。
内村は、その考えを、二つのJから学んだのです。
ひとつが、ジーザス、キリストのJ。
もうひとつが、JAPAN、ニッポンのJ。
批判、非難、誹謗中傷の嵐の中、天命を全うした賢人、内村鑑三が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?