『聖なる、傷のない者に(エペソ人への手紙1章3節~14節)』のカバーアート

聖なる、傷のない者に(エペソ人への手紙1章3節~14節)

聖なる、傷のない者に(エペソ人への手紙1章3節~14節)

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このコンテンツについて

1)TCU での学びに導かれた証し

・エホバの証人(異端カルト)だった母、ついて行っていた私。父がカルトに気づき、牧師とともに救出活動をする。家族で教会につながる。

・大学のサークルでの後輩との出会い。話した結果、彼は関係を絶ってくれた。その時に感じた様々な痛みと悲しみ。働きの必要性を覚えた。

・祈りの中で与えられたエペソ 1 章 4 節。神様がすでに与えられている完全な癒し。それを受け取り続ける私たち。TCU の学びへ導かれる。

2)キリストにあって選び、御前に聖なる、傷のない者に

・神様の選びと回復の約束は、私たち一人ひとりのうちにもある。

・私たちはキリストの血に贖われていて、背きの罪の赦しを受けている(7 節)。私たちの葛藤も戦いも、完全に赦され、回復されている。

・キリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者とされている(11 節)。

・約束の聖霊を送り、神様のものとされた証印が押されている(13 節)。

・聖霊は御国を受け継ぐことの「保証」=「手付金」でもある(14 節)。御国を与える前に、前もって聖霊が私たちに支払われている。

3)一切のものを、一つに集めるために

・「手付金」を受け取った私たちが備えておくべきは「私自身」。神様のものとして仕えていく。

・これは決して搾り取られる一方的なものではなく、感謝をもって仕えて行くなかで、キリスト者として生きる喜びが与えられる。

・神様のみこころの奥義は「一切のものが、キリストにあって、一つに集められる」こと(9-10 節)。

・キリストをかしらとして、私たち、そして世界は一つに集められ、一体とされるという奥義のために、私たちは仕えていく。

結)御前に聖なる、傷のない者として

・世界を一つに集めるという神様のみこころのために仕えるとき、私たちは喜びあふれる。

・「府中市をキリスト教都市に!」そこには、必ず神様が全世界を造られる前から選んでくださっている方々がいる。聖なる、傷のない者とされるように備えられている方々がいる。

・私たちも喜んで、そこに仕えていきたい。

聖なる、傷のない者に(エペソ人への手紙1章3節~14節)に寄せられたリスナーの声

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