• 音で旅する只見線#17「会津塩沢~会津蒲生」

  • 2024/09/01
  • 再生時間: 9 分
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音で旅する只見線#17「会津塩沢~会津蒲生」

  • サマリー

  • 会津塩沢駅から会津蒲生駅までは只見川に沿って運行。蒲生?なんで?戦国時代末期に蒲生氏郷が会津に入ったから?と色々考えましたが近くに「蒲生岳」という山があります。それが由来のようですね。只見線とはまったく関係ありませんが「会津若松」という地名は蒲生氏郷が付けたそう。いまの会津若松周辺は「黒川」と呼ばれていましたが氏郷が会津拝領した際に出身地、いまの滋賀県内の地名を取ったんだとか・・・会津若松の市街地(城下町)はこのころ形成されたようです。さらについでに・・・「会津」という地名も気になりませんか?その昔昔、2人の将軍が東海道と北陸道を通って落ち合った場所が相津だったそうです。津というのは今でいう船着き場、港を指していますが内陸部の会津に港?と思われるかも知れません。昔は海運だけではなく河運も盛んでしたから、開けた会津盆地に新潟からの物資を運んだ船が行き交っていたと思えば納得です。
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あらすじ・解説

会津塩沢駅から会津蒲生駅までは只見川に沿って運行。蒲生?なんで?戦国時代末期に蒲生氏郷が会津に入ったから?と色々考えましたが近くに「蒲生岳」という山があります。それが由来のようですね。只見線とはまったく関係ありませんが「会津若松」という地名は蒲生氏郷が付けたそう。いまの会津若松周辺は「黒川」と呼ばれていましたが氏郷が会津拝領した際に出身地、いまの滋賀県内の地名を取ったんだとか・・・会津若松の市街地(城下町)はこのころ形成されたようです。さらについでに・・・「会津」という地名も気になりませんか?その昔昔、2人の将軍が東海道と北陸道を通って落ち合った場所が相津だったそうです。津というのは今でいう船着き場、港を指していますが内陸部の会津に港?と思われるかも知れません。昔は海運だけではなく河運も盛んでしたから、開けた会津盆地に新潟からの物資を運んだ船が行き交っていたと思えば納得です。

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