• #13 「知らんざったけんど、郷里の味!」 山本一力

  • 2023/03/27
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#13 「知らんざったけんど、郷里の味!」 山本一力

  • サマリー

  • キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。 今回は、第13回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「知らんざったけんど、郷里の味!」をお届けします。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「知らんざったけんど、郷里の味!」 山本一力 2021年5月下旬。郷里のヒロシから、超弩級の宅配便が届いた。前日に電話を受けており、宅配便の中身は分かっていたのだが……。土佐の桂浜は、かつては五色の小石が浜を埋めていた景勝地。月の名所としても知られ、昭和初期建立の坂本龍馬立像が、眼前に広がる太平洋土佐湾を見詰めている。景勝地ながら桂浜に打ち寄せる波濤は、うかつな浜遊びを許してはくれない。波打ち際から一気に落ち込んでいる浜は、昔から遊泳禁止だ。「波打ち際に近寄ったらいかん!」遠足時、先生からこれをきつく言われた。ヒロシはそんな土佐湾に、自家用漁船で出漁。カツオとキハダマグロを一本ずつ。スチロールのトロ箱には収まらず、段ボール箱二つをつないだ、規格外れの荷姿で。丸ごとのカツオが届くと知らされるなり、カミさんはヒロシの奥方かよちゃんに、電話を代わってもらった。そして。「カツオのあら煮はしょうゆと砂糖、日本酒で間違っていませんよね?」と確かめたら。「うちではマダケを一緒に煮ているのよ」家の裏山で採れたマダケを茹でて、同梱してくれていた。細長いマダケは、もちろん見知っていた。が、マダケ入りカツオのあら煮など、あのときまで食べたことはなかった。                   *                   昭和30年代の高知では町の鮮魚屋の大半が、店先でカツオをさばいていた。真ん中の太い背骨何尾分もを、皿一杯5円~10円で売っていた。身も美味いが骨に残った身は安くてうまいことを、あの時代の客は知っていた。亡母が煮つけてくれたカツオのあら煮は、甘辛いご馳走だった。赤貧の母子家庭では、カツオ身のタタキは手が届かない。が、あらなら毎日でも買えた。両手で骨を持ち、背骨にへばりついた身を食べた。甘味の少なかったあのころ、甘辛い骨の身は飛び切りのおかずだった。皿に残った煮汁は、ごはんにかけた。食べ盛りのこどもは、煮汁だけで一膳のごはんを平らげたものだ。ヒロシが釣り上げたカツオをさばいたのは、プロならぬカミさんだ。嬉しいことに背骨には、たっぷり身がへばりついていた。マダケと合わせ煮したら、さぞかしカツオの旨味がまとわりつくに違いないと思うと、生唾が口に広がった。鍋から噴き出す蒸気には煮ガツオ特有の香りに、しょうゆ・砂糖・日本酒が絡まっていた。が、タケノコ臭は含まれていない。どんな味になるのやらと、不安も感じた。出来上がりに箸をつけるなり、カミさんと顔を見交わし、同時に「美味い!」が出た。初めての賞味だったが、これぞ土佐の味だと身体が騒いだ。海の鰹も山の筍も、あの土佐の空気と水とで育っていたから。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― あなたにも、ふるさとやゆかりの土地での「特別な味」はありますか? 食材や料理、人とのつながりが紡ぎだす「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。 ■キッコーマン企業サイト ブランドページhttps://www.kikkoman.com/jp/memory/index.html ■コンテストの受賞作はこちらからご覧いただけますhttps://yab.yomiuri.co.jp/adv/oishiikioku/See omnystudio.com/listener for privacy information.
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あらすじ・解説

キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。 今回は、第13回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「知らんざったけんど、郷里の味!」をお届けします。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「知らんざったけんど、郷里の味!」 山本一力 2021年5月下旬。郷里のヒロシから、超弩級の宅配便が届いた。前日に電話を受けており、宅配便の中身は分かっていたのだが……。土佐の桂浜は、かつては五色の小石が浜を埋めていた景勝地。月の名所としても知られ、昭和初期建立の坂本龍馬立像が、眼前に広がる太平洋土佐湾を見詰めている。景勝地ながら桂浜に打ち寄せる波濤は、うかつな浜遊びを許してはくれない。波打ち際から一気に落ち込んでいる浜は、昔から遊泳禁止だ。「波打ち際に近寄ったらいかん!」遠足時、先生からこれをきつく言われた。ヒロシはそんな土佐湾に、自家用漁船で出漁。カツオとキハダマグロを一本ずつ。スチロールのトロ箱には収まらず、段ボール箱二つをつないだ、規格外れの荷姿で。丸ごとのカツオが届くと知らされるなり、カミさんはヒロシの奥方かよちゃんに、電話を代わってもらった。そして。「カツオのあら煮はしょうゆと砂糖、日本酒で間違っていませんよね?」と確かめたら。「うちではマダケを一緒に煮ているのよ」家の裏山で採れたマダケを茹でて、同梱してくれていた。細長いマダケは、もちろん見知っていた。が、マダケ入りカツオのあら煮など、あのときまで食べたことはなかった。                   *                   昭和30年代の高知では町の鮮魚屋の大半が、店先でカツオをさばいていた。真ん中の太い背骨何尾分もを、皿一杯5円~10円で売っていた。身も美味いが骨に残った身は安くてうまいことを、あの時代の客は知っていた。亡母が煮つけてくれたカツオのあら煮は、甘辛いご馳走だった。赤貧の母子家庭では、カツオ身のタタキは手が届かない。が、あらなら毎日でも買えた。両手で骨を持ち、背骨にへばりついた身を食べた。甘味の少なかったあのころ、甘辛い骨の身は飛び切りのおかずだった。皿に残った煮汁は、ごはんにかけた。食べ盛りのこどもは、煮汁だけで一膳のごはんを平らげたものだ。ヒロシが釣り上げたカツオをさばいたのは、プロならぬカミさんだ。嬉しいことに背骨には、たっぷり身がへばりついていた。マダケと合わせ煮したら、さぞかしカツオの旨味がまとわりつくに違いないと思うと、生唾が口に広がった。鍋から噴き出す蒸気には煮ガツオ特有の香りに、しょうゆ・砂糖・日本酒が絡まっていた。が、タケノコ臭は含まれていない。どんな味になるのやらと、不安も感じた。出来上がりに箸をつけるなり、カミさんと顔を見交わし、同時に「美味い!」が出た。初めての賞味だったが、これぞ土佐の味だと身体が騒いだ。海の鰹も山の筍も、あの土佐の空気と水とで育っていたから。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― あなたにも、ふるさとやゆかりの土地での「特別な味」はありますか? 食材や料理、人とのつながりが紡ぎだす「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。 ■キッコーマン企業サイト ブランドページhttps://www.kikkoman.com/jp/memory/index.html ■コンテストの受賞作はこちらからご覧いただけますhttps://yab.yomiuri.co.jp/adv/oishiikioku/See omnystudio.com/listener for privacy information.

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