-
サマリー
あらすじ・解説
音楽出版ビジネスの先達たちの中から、戦後の海外アーティストの日本公演を手掛けた第一人者で、「ビートルズを日本に呼んだ男」こと永島達司さんについて。日本初のプロモーター、キョードー東京の創業者・永島達司さんと知り合ったきっかけに始まり、永島さんが音楽出版社を設立されるに至った経緯をご紹介します。後に日本の芸能ビジネスを確立させた方々との関わり合いや、世界中のミュージシャンから多大な信頼を得た永島さんが日本の音楽シーンへ与えた影響と功績を回想します。
【永島達司さんと知り合うきっかけ】
●永島達司(1926/4/26 – 1999/5/2):日本初のプロモーター。1953年に「新々プロダクション」を設立。1957年に社名を協同企画(現・キョードー東京)に変更した。戦後の海外アーティストの日本公演を手掛けた第一人者で、海外では「タッツ・ナガシマ」の愛称で呼ばれた。
【日本の音楽・芸能ビジネスへの永島さんの影響力】
●渡邊晋(1927/3/2 – 1987/1/31):日本の実業家・芸能プロモーターで、ベーシスト(渡辺晋と表記される場合も)。日本の芸能事務所の草分け、渡辺プロダクション(通称:ナベプロ)の創業者。
●渡辺晋とシックス・ジョーズ:渡邊晋が早稲田大学在学中の1951年に、松本英彦(テナーサックス)、中村八大(ピアノ)、猪俣猛(ドラム)らと結成したグループ。渡邊はリーダー兼ベーシストとして活動した。
●井原高忠(1929/6/6 – 2014/9/14):日本のテレビプロデューサー。日本テレビのプロデューサーとして知られ、同局で制作局次長、第一制作局長を歴任後、井原高忠事務所を設立し取締役を務めた。ザ・ピーナッツやとんねるずのユニット名の考案者としても知られる。
●チャック・ワゴン・ボーイズ:黒田美治が井原高忠らと共に結成し、鳥尾敬孝や寺本圭一も後に加入した日本最初期のウエスタン・バンド。
●堀威夫(1932/10/15 – ):1948年に、バンド、ワイキキ・ハワイアンズを結成。明治大学商学部時代の1952年、小坂一也、井原高忠らと共に学生バンドのワゴン・マスターズにスカウトされ、ギタリストとして活躍。その後、有限会社堀プロダクション社長、株式会社ホリプロダクション社長、株式会社ホリプロ社長、社団法人日本音楽事業者協会理事長などを歴任した。
【永島達司さんのマネージャー時代】
●「好きなんだ!(I Love You)/平尾昌晃」(1959年):平尾昌晃のシングル曲。日本での売上は10万枚程度だったが、ハワイでは地元ラジオ局が流したのを機にリクエスト・ランキングで1位を記録する大ヒット。1959年12月にハワイで開催された「アメリカン・ポップス大会」で日本代表として歌唱した。
【永島達司さんと音楽出版ビジネス】