『24年後に生存確認された拉致事件、寺越事件 被害者本人が拉致だと認められなかった不条理な理由 息子と引き離された母は66回訪朝』のカバーアート

24年後に生存確認された拉致事件、寺越事件 被害者本人が拉致だと認められなかった不条理な理由 息子と引き離された母は66回訪朝

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1963年5月に能登の高浜漁港から出港した2人の漁師と1人の中学生が失踪。

懸命な捜索も発見されず家族は3人の葬式をあげた。

しかし24年後、失踪した漁師の1人と当時13歳だった少年が北朝鮮で暮らしていると手紙が来る。


◯んだはずの息子に会いに北朝鮮へ渡り続ける母。

かたくなに「自分は拉致されたのではなく北朝鮮に救助された」と語る息子。

引き裂かれた母子が北朝鮮の思惑な翻弄された拉致事件。

24年後に生存確認された拉致事件、寺越事件 被害者本人が拉致だと認められなかった不条理な理由 息子と引き離された母は66回訪朝に寄せられたリスナーの声

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