水村 美苗
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水村 美苗

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「『漢文を読めない人の書いた文学は読んでもつまらない』と言う人が昔は結構おられました。私はもちろん漢文が読めないのでつまらない文学を書く世代ですが、少なくとも日本近代文学は読んで育ちました。日本の近代には『こういう文学がありました』と振り返りつつ、日本近代文学の最後に来た者の一人として書いています。」 (「私は近代日本文学の最後に来た者」『公研』2020年12月号インタビューを修正) 略歴 東京に生まれる。12歳の時、父親の仕事の都合で家族と共にニューヨーク近郊のロングアイランドに移り住む。アメリカになじめず、ハイスクール時代を通じて、昭和二年発行の改造社版の「日本現代文学全集」を読んで過ごす。ハイスクールを卒業したあとは、英語と直面するのを避け、まずはボストンで美術を学ぶ。次にパリに短期滞在した後、最終的にはアメリカのイェール大学と大学院で仏文学を学ぶ。博士課程を修了したあと、日本に一度戻るが、また渡米して大学で日本近代文学を教える。東京在住。 最初に発表した小説、『續明暗』(1990年)は、夏目漱石の遺作で未完の作でもある『明暗』(1917年)を、漱石独特の文体と表記法を使って完成させた。芸術選奨新人賞を受賞した。 第二作の、『私小説 from left to right』(1995年)では、日本語に英語を交ぜた横書きの文体を用いて、自伝風にアメリカでの生活を描いた。野間文芸新人賞を受賞した。 第三作、『本格小説』(2002年)は、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を、中国の少数民族の血が半分混ざったヒースクリフを登場させながら、日本の近代史を描いた。読売文学賞を受賞した。 『日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で』(2008年)という長い評論では、西洋に触れた日本の衝撃から近代文学の誕生までの歴史を振り返り、そのとき国語になった日本語の高みが、現在の英語の制覇によって、いかに崩れ去る危険に晒されているかが語られている。小林秀雄賞を受賞した。 『日本語で読むということ 』(2009年)と『日本語で書くということ』(2009年)の二冊は、過去にわたって書かれたエッセイや随筆を集めたものである。『日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で』の執筆に至るまでの経緯を辿ることができる。 最近作『母の遺産−新聞小説』(2012年)は、読売新聞で毎週土曜日に連載した新聞小説に、加筆修正をほどこしたものである。母の介護に追われ、離婚を考える五十代の女性を描いた。大佛次郎賞を受賞した。 その後4冊の著書の英訳の推敲作業に追われていたが、現在は新しい小説を書いている。2021年『新潮』連載予定。
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