エピソード

  • S10 5回目は糸島の伝説からお送り致します。
    2024/11/03
    糸島半島の東の玄関口、福岡市西区の千里にある三所神社のすぐ近くにある縦2メートル、横1.8メートルの岩にまつわる話。 ある年の大晦日のこと、ごう音と共に大きな岩が村に落ちてきます。 村は大騒ぎになり、神占いをすると神意で千里離れた高麗から飛んできた岩だということになります。 そこで、村では粗末な扱いをしてはいけないことになり、岩に締め縄を張って祀ることになります。 お陰で村では正月の注連飾りの準備も全くできなかったとか。 この地区にはこの習慣がいまでも残っていて正月のしめ飾りはしない家が多いそうです Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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    30 分
  • S10 4回目は糸島に開園した万葉の里植物園の話
    2024/10/27
    この程、糸島の引津湾に万葉集の歌に出てくる植物を栽培する万葉の里植物園が開園しました。 といっても、これから三年計画で植えていくということで、先ずは土づくりからということで、万葉集に出てくる花が見られるのは来年からになりそうです。 糸島には万葉集にでている植物が60種類くらいあるそうですが、その植物がこの地に適しているかどうかを探るのも大変だとか。 何しろ海のすぐ側の畑ですから潮風対策が一番苦労するそうです。 来年の春、どんな花が見られか楽しみです。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • S10 3回目は高良山と安曇磯良です。
    2024/10/20
    安曇族の長である安曇磯良は大川市の風浪宮の初代宮司となりますが、磯良は高良山とも関係が深いといわれます。 磯良は神功皇后に仕え、朝鮮出兵では水先案内したり、神功皇后の手足となって大活躍します。 その功績で、神功皇后は高良山の支配権を磯良に与えたといいます。 当時、高良山では胴が採れていたそうですから大変な支配権です。 古代でも、船代や軍備費は必要だったようで、住吉族には水田~裂田の溝を与えたのだそうです。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • S10 2回目も大川市の風浪宮です。
    2024/10/13
    風浪宮には大変ユニークな神事がありました。 それは4月に行われる火清鳴弦御祈祷(ひきめん・ごきとう)という神事。 弓の弦を鳴らして氏子を清める神事です。 これは神功皇后が朝鮮から帰国されてお産に入りますが、難産だったため、悪霊を慰めるために弓で音を鳴らし、悪霊を退散させ、無事に出産させたとったことがあり、 こういった神事が残っているということでした。 大変貴重な神事です。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • S10 1回目は大川市の風浪宮を訪ねます。
    2024/10/06
    4月から9月までは安曇族の足跡を訪ね信州を歩きました。シーズン10に入りました。 今回はその続きで福岡を歩きます。 阿曇族の長である阿曇の磯良の足跡を追跡します。 大川市に風浪宮があります。ここの神社は磯良が神功皇后と共に朝鮮出兵から帰還の際、嵐に遭遇、流れ着いた場所です。 白鷺に導かれた場所に神社を作り、その初代の宮司になったのが磯良です。 神社の近くには磯良の墓だとみられる大きな石蓋をもった磯良塚がありました。 ※写真は磯良ツカ Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • ST-A 安曇族の足跡を探るの26回目は関山神社の仏像
    2024/09/29
    新潟県の妙高山の近くに関山神社はあります。ここには秘仏といわれる仏像があります。 その仏像は番組で紹介した安曇族が持ち込んだとみられる二つの仏像(対馬の浄林寺の仏像と安曇野の観松院の仏像)に似ている仏像がここにある、というので訪ねました。 しかし、秘仏ですから寺の奥深くにしまわれ、数年に一度しか顔を見せてくれないのです。 そこで、二つの像の写真を寺の総代と地元の仏像研究者に見せ、話を伺ったところ百済で作られて日本に持ち込まれたとみられること、大きさ、形、など共通点が多く、同じ頃、百済で作られたものだろうという話でした。 しかし、寺に持ち込んだのが安曇族かどうかは不明で、現在は渡来人がもちこんだのでは、という結論だということでした。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • ST-A 安曇族の足跡を探るの25回目はヒスイについて
    2024/09/22
    安曇族は新潟県の糸魚川から塩の道である千国街道を通り、安曇野をめざしたとみられています。 このルートは塩を運んだ道であり、日本海の産物を運んだ道でもあり、そして、糸魚川のヒスイを運んだ道とも見られています。さらに運搬に携わったのは安曇族かもしれません。 安曇族は海を渡る技術をもっていました。朝鮮半島との交易に携わり、ヒスイも朝鮮半島の国々に運び、その代わり鉄を我が国に持ち込んだのでは、というのが今週の話です。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • ST-A 安曇族の足跡を探るの24回目は糸魚川
    2024/09/15
    新潟県糸魚川はヒスイの産出地として知られる場所です。 市内中心地から車で10分ほど 高台に上ったところに、縄文時代にヒスイ製品を作っていた加工工房がありました。長者ヶ原遺跡といいます。 標高90メートル、日本海から2.5㎞ほど入った場所にありました。 今から約5000年~4000年前の遺跡です。 初めは大珠という直径5センチを越える大きな玉を作って、これに穴をあけ装身具として作っていたそうです。 時代と共に形も小さくなり、勾玉などへ変わったいったのです。 遺跡には茅葺きの屋根をもった縄文時代の住居が2~3棟再現されていました。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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