エピソード

  • ST-A 安曇族の足跡を探るの24回目は糸魚川
    2024/09/15
    新潟県糸魚川はヒスイの産出地として知られる場所です。 市内中心地から車で10分ほど 高台に上ったところに、縄文時代にヒスイ製品を作っていた加工工房がありました。長者ヶ原遺跡といいます。 標高90メートル、日本海から2.5㎞ほど入った場所にありました。 今から約5000年~4000年前の遺跡です。 初めは大珠という直径5センチを越える大きな玉を作って、これに穴をあけ装身具として作っていたそうです。 時代と共に形も小さくなり、勾玉などへ変わったいったのです。 遺跡には茅葺きの屋根をもった縄文時代の住居が2~3棟再現されていました。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • ST-A 安曇族の足跡を探るの23回目は志賀の島です。
    2024/09/08
    安曇族の本拠地は福岡市の志賀の島です。 志賀の島には島の至る所に神功皇后の伝説が残っています。 そして、安曇族の長である阿曇の磯良の話も志賀海神社にある二つの亀石に残っています。 亀石は本殿のすぐ横にあり、下の海の中道を見下ろす場所に置いていあります。 亀石はその名のように海亀そっくりの形をしています。 阿曇の磯良はこの亀に乗って、鞨鼓を胸に、舞を舞いながら神功皇后の前に現れるのです。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • ST-A 安曇族の足跡を探るの22回目は八面大王ゆかりの場所です。
    2024/09/01
    穂高有明矢村には「矢矧三宝大荒神社」、通称「弥助神社」があります。 ここには、弥助という男が、あるとき助けた山鳥が美しい娘となって現れるという民話が残っています。 娘は弥助の妻となり、やがて十三の節がある山鳥の尾羽を使った矢を作ります。 この矢が八面大王を坂上田村麻呂が撃つ力になるという民話です。 神社には、弥助と山鳥の矢がご神体として祀られているそうです。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • ST-A 安曇族の足跡を探るの21回目は狐島の話
    2024/08/25
    八面大王ゆかりの場所を訪ねています。狐島という場所があります。 高瀬川と穂高川に挟まれた場所で州が形成された場所にあります。 狐島の名前の由来は、八面大王が狐に化けて逃げてきたから、だとか藪が多く狐が多かったからだとか、いろんな説があるそうです。 この狐島に1体の観音像がありました。 安曇野に多い馬頭観音かなと、よく見ますと驚いたことに馬頭ではなく狐の顔が彫ってありました。 案内人の川崎さんの話では、狐の顔が彫ってあるのは、恐らく安曇野でもこの1体だけでないだろうかということでした。 ※ 写真は狐島の観音像 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • ST-A 安曇族の足跡を探るの20回目は鼠穴について。
    2024/08/18
    八面大王のの本拠地だとされるのが有明山の近くにある鼠穴地区です。 ここには、道路のすぐ側に玉垣で囲まれた場所にねずみ石という不思議な伝承をもった石があります。 大きさは1メートル四方くらいで饅頭型の石です。 この石の一部分に握りこぶしくらいの穴があいています。 この穴は有明山の山上にある金明水、銀明水につながっているとか、或いは、善光寺までつながっていて、かつて善光寺で地震があったときその騒動の音が穴から聞こえてきた、といった話しが伝わっている不思議な石です。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • ST-A 安曇族の足跡を探るの19回目は有明山神社の石碑。
    2024/08/11
    八面大王が住んでいたといわれる魏志鬼の岩窟のすぐ近くの有明山神社には面白い石碑がありました。 開運招福という石碑です。 石の形は五円玉を1メートルの大きさにして、真ん中の四角い穴が開いておりその穴をくぐるものです。 面白いのは真ん中の四角い穴を口の字として読む点です。 口の前後と左右に1文字づつ文字が書いてあり、その文字と口の字を合わせて読むと一種の熟語になるという石です。 片方の側には、吾唯足知とあり、(われ・ただ・たるを・しる)つまり、分に安んじて貪らない、そして、もう片方には吉呼員和とあり(きちを・よんで・かず・わす)喜びを集めて和やかにという熟語になっていました。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • ST-A  安曇族の足跡を探るの18回目も穂高神社です。
    2024/08/04
    穂高神社の境内をゆっくり歩きますと、よく神社のことを理解できます。 境内には銅像が二つあります。 一つは、日光泉小太郎と犀龍社です。小太郎は安曇野を切り開いて肥沃な土地にした伝説的人物。 もう一つは、白村江の戦いで百済支援に大きな功績があった阿曇比羅夫の像です。 例年9月に行われる行われる「お船祭」は白村江の戦いで戦死した比羅夫の命日にちなんで行われていると伝わっています。 本殿の横のお船会館には、お船祭りで使用されるお船や穂高人形が展示してあります。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • ST-A 安曇族の足跡を探るの16回目は明科です。
    2024/07/28
    安曇族の安曇野での拠点となった場所は明科であったといわれます。 そして、明科には大きな伽藍をもった寺があったといわれます。 それが明科廃寺といわれ、現在も発掘調査が続けられています。 調査に携わってこられた安曇野市文化財保護審議会委員の大澤慶哲さんの話では瓦はたくさん出土しているが、伽藍があったかどうかは未だ分からないということ。 そして、安曇氏とお寺の関係もわかっていません。 というのは、調査地点は住宅地であるため調査の範囲が限られているからです。 安曇氏のお寺であったのか、さらに安曇氏の居館があったのか、今後の調査結果が待たれます。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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