• 天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
  • サマリー

  • 心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
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エピソード
  • 神様にもたれて通る
    2024/10/04
    神様にもたれて通る 岐阜県在住  伊藤 教江 「あなた、このままだと死にますよ! すぐに入院、手術です!」 そうお医者さんから言われたのは、今から遡ること35年前でした。 私は人生の大きな岐路に立たされていました。子供の頃から大きな病気もせず元気に過ごしてきた私にとって、その言葉はあまりに衝撃的で、とても受け入れられるものではありませんでした。 「嘘でしょ…何かの間違いに決まってる。だって、痛くも痒くもない。食欲もある。今だって元気に動き回ってるし…」 確かに私のお腹には、いつからか小さな固いしこりが出来始めていました。それでも、「大したことはない」と少しも気に留めていませんでした。ただ、母が心配してくれていたので、母に安心してもらうために「まあ、一度病院で診てもらおうか」と、とても軽い気持ちで診察を受けました。 その後、いくつかの検査によってデスモイド腫瘍が見つかり、冒頭のお医者さんからの一言で、私の心は一瞬にして奈落の底に落ちたのです。  病院からの帰り道、今まで当たり前に見てきた街並みや、道端の小さな草花、流れる川さえもが愛おしく感じられ、「きっと、私がいなくなっても何事も変わらず、来年もまた花は綺麗に咲き、川も止めどなく流れ、時は過ぎていくんだろうなあ…」と、命のはかなさを感じ、ただただ涙を流したのでした。 当時、私にはまだ幼い二歳と一歳の二人の娘がいました。 「この子たちを置いて死ぬわけにはいかない! もし私がここで死んだら、この先この子たちはどうなるんだろう…。お願いです!何とか救けてください! 山ほど借金して、世界中から名医を探し出してでも、命を救けてもらいたい! たとえ動けなくなっても、どんな姿になっても命だけは救けてもらいたい!」 何度も何度も、どれほど心の中で叫んだことでしょう。しかし、どんなに望んでも願っても、思い通り、願い通りにはならないのが現実です。 そんな時、「人を救けたら我が身が救かるのや」という教祖のお声が、繰り返し繰り返し聞こえてくるような気がしました。 「人救けたら我が身救かる」。その教えは今まで何度も聞かせて頂いていたけれど、実際は頭で理解しているだけで、本当の意味で心の底に治まっていなかった。 親々の信仰を受け継いで今日まで生きてきたけれど、親神様を我が心でしっかりとつかめていなかった、もたれ切れていなかったということに気づいたのです。 そして、「このお言葉が真実なら、親神様は絶対におられる! このお言葉通りに実行して命をたすけて頂いたら、この親神様は絶対に間違いのない真実の神様である」と思えたのです。この病は私にとって、目に見えない親神様のお姿を心で感じ取るための大きなチャンスでもありました。 ある教会の先生からは、「固い鉄は、熱い火が溶かす。やわらかい身体に出来た固いしこりは、熱い心が溶かす。熱い心とは、人をたすける心である」と聞かせて頂きました。 人をたすけるとは、病んで苦しんでおられる方におさづけを取り次がせて頂くこと。これしかありません。この時ほど、教祖から尊いおさづけの理を頂戴していたことを有難く思ったことはありませんでした。 「人救けたら我が身救かる」との教祖のお言葉を胸に、病院中をおさづけの取り次ぎに回らせて頂きました。 見ず知らずの人におさづけを取り次ぐのは、とても大変なことでしたが、当時の私はそんな悠長なことを言っている場合ではありませんでした。「もっとおさづけを取り次がせて頂けば良かった」と、悔いを残すことは出来ませんでしたから。必死に我が心と戦いながら、病室から病室へと回らせて頂きました。 そんな私のたすかりを願い、主人は3月のまだ寒い中、水ごりをして十二て頂いている今、一分一秒、この瞬間生かされていることをしっかり喜ばせてもらいなさい」と聞かせてくれました。それは、いつでも教祖のひながたを心の頼りとして懸命に通ってきた親の言葉でした。 そして、来たる手術の日。教祖のお言葉を心に置き、10時間にも及ぶと予定されていた手術に臨みました。お腹の...
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  • 産後に起きた大激変
    2024/09/27
    産後に起きた大激変 静岡県在住  末吉 喜恵 私は双子を含む五人の子供を育てる母親です。教会で育ち、少年会の活動などで幼い頃から多年齢の子供とふれ合い、大きくなってからも小さな子と遊ぶのが常で、自分では子供好きを自覚していました。 なので、赤ちゃんが生まれたら、子育ては自然にできると思っていたし、我が子を当たり前のように可愛がれるのだろうと思っていました。泣き始めたら、「今はお腹が空いてるんだな」とか、「おしっこが出たのかな」とか、そんなことも自然に分かるのだろうと。 でも、実際はそうではなかったのです。初めての子育ては、本当に分からないことだらけ! 何で泣いているかなんて、最初は全然分かりませんでした。生後一カ月ほどして、赤ちゃんと一緒の生活にリズムが出来てきた頃にようやく、「お腹が空いているのかな?おむつなのかな?」と、感じられるようになったことを思い出します。 産後の女性に起きること、それは四つの大激変です。 一つ目は、身体的な変化。予想外のダメージが連続します。出産とは、大怪我を負うようなものだと言われています。分娩をスムーズにするために会陰切開をしたり、帝王切開でお腹を切った後も、それはそれは痛いです! 双子を産んだ時は帝王切開で、産後一カ月は痛みが消えませんでした。 また、授乳は予想以上に重労働で、初めは時間もまちまちで赤ちゃんの姿勢も定まらないし、小さい赤ちゃんは大事に扱わなくてはいけないので、神経を使います。母乳で育てた方が丈夫な子に育つ、という周りからの助言がプレッシャーになったことも正直ありました。 二つ目は、精神的な変化です。突然母親になり、不安を抱えながらも自分がやるしかない状態に放り込まれます。妊娠中に色々な本を読んだり、出産準備のための教室を受けたりしましたが、実際に命を預かるのとは大違いで、戸惑うことばかり。その重さに知らず知らずのうちに自分にプレッシャーをかけてしまいます。 三つ目は、時間的環境の変化。徹底的に時間が細分化され、自分のための時間がゼロになります。赤ちゃんのお世話をするのに、夜昼の区別もなくなり、授乳、おむつ替え、抱っこ、寝かしつけなどなど、休む間もなく24時間稼働状態になります。いつ何が起きるのか分からないので、自分の時間はもちろんないし、トイレに行くことさえもままならない。こんな状態がいつまで続くのか、終わりが見えず不安になります。 四つ目は、社会的環境の変化です。核家族化が進む中、私も夫と赤ちゃんと三人で暮らしていました。外出もできず、話し相手がまったくいないというのは本当にしんどくて、社会から取り残されたような感覚に追い込まれます。私は妊娠期に仕事もやめたので、収入面での不安もありました。 仕事とは異なるスキルが必要で、ましてや相手は生身の人間ですから、思うようにいかないことが多く、毎日お世話をこなすだけで精一杯です。加えて、それまでは自分の名前で呼ばれていたのに、赤ちゃんと常にセットなので、急に「〇〇ちゃんのお母さん」と言われ始め、まるで自分の存在がなくなったようでした。 赤ちゃんは、一人では生きていけない存在であり、常に誰かのお世話を必要としています。もともと母親一人で子育てをするのは難しいことなのですが、しかし現実はどうでしょう? 多くの母親が周りに頼る人がおらず、不安や孤独を感じている場合が多いと思います。 ガルガル期というものを知っていますか? 産後にホルモンバランスが崩れて、情緒不安定になる時期のことで、私も経験しました。この時多量に分泌されるオキシトシンというホルモンは、子供や夫に対して愛情を深める働きを持っているのですが、産後は子供を守るために周囲に対して攻撃的になってしまうという作用もあるのです。大好きな夫にすら、「近くに来ないで!」と思った瞬間もありました。自分でもびっくりです。 それに加え、双子を出産した直後は、夜泣きがひどく眠れない日が続きました。子供は可愛い!でも、虐待してしまうお母さんの気持ちも分かるような気...
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  • 優先順位
    2024/09/20
    優先順位 大阪府在住  山本 達則 ある日、何気なくインターネットを検索していると、海外のあるお話に出会いました。「マヨネーズの瓶と二杯のコーヒー」というタイトルで、海外でも大きな反響があったお話です。 ある大学の哲学の教授が、授業が始まると、空っぽのマヨネーズの瓶を取り出し、その中にゴルフボールを入れていっぱいにしました。次に教授は小石の入った箱を取り出し、それを瓶の中にあけ始め、ゴルフボールの間を小石で埋めました。 次に教授は砂の入った箱を取り出し、それもまた瓶の中に入れて隙間を埋めました。そして最後に、二杯のコーヒーを取り出して瓶に注ぎ、砂の隙間をすべて埋め尽くしました。不思議な組み合わせに、学生たちは笑い出しました。 「さて」、笑いが静まると、教授は言いました。 「この瓶は、あなた方の人生を表しています。最初に入れたゴルフボールは、人生で最も大切なものです。それは家族であり、健康であり、友人、情熱など、それさえあれば、あなたの人生は満ち足りたものになります。次に入れた小石は、仕事や家、車など。次の砂は、その他のほんの小さな、ささいなものです。 人生において重要なこと、『ゴルフボール』を大事にしてください。子供と一緒に遊び、健康診断を受け、パートナーと一緒に食事を楽しんでください。掃除や物の修理など、家のことをする時間はいつでもあります。 大切なのは、優先順位を間違わないということです。小石や砂で人生を満たしてしまっては、ゴルフボールの入る余地がなくなります」 ここまで話すと、一人の学生が「コーヒーは何を表しているのですか?」と尋ねました。教授は、「あなたの人生がどれだけ手一杯に見えても、友人とコーヒーを飲む時間はいつでもあるということを表しています」と言って、微笑みました。 人間は誰しも、欲望や損得勘定で動いたり、人の好き嫌いで対応を変えたり、いわゆる「自己中心的」な考えを持っています。そしてその感情は、「家族」に対しても向けられることが多々あります。夫は仕事が忙しくなると、妻や子供の声に耳を傾けなくなったり、邪険にしてしまったりすることがあります。 また、家事を担っている妻にしても、余裕がなくなると、夫の仕事に理解を持てなくなったり、思い通りにならない日常にイライラして、家族に当たってしまうということもあるでしょう。子供は子供で、願い通りにならないことに突き当たると、家族に対する態度や言動が粗暴になることもあるかも知れません。私自身も父親として家族と過ごす中で、大いに心当たりのあることです。 このような日常を俯瞰してみると、夫は家族の幸せのために、必死になって仕事をしている中でのこと。家事を担っている妻にしても、家族のことを大切に思うがあまり、行き過ぎた行動に出てしまうのだと思います。 このように、私たちは優先順位を間違ってしまうことがあるのです。お互いの人生という器の中に、何よりも大切な「家族」というゴルフボールを入れる前に、「仕事」や「家事」、すなわち小石や砂で瓶を満たしてしまっているのです。 もちろん、仕事や家事は適当にこなせばいい、ということではありません。何より大切なのは、家族や周りの人たちに対する「心」の使い方ではないでしょうか。 腹が立つけれど、笑ってみよう。面倒だけど、自分から進んでやってみよう。相手が悪いと思っても、こちらから謝ってみよう。忙しい時でも、しっかり相手の話に耳を傾けよう。そういった心の使い方が、ゴルフボールで満たされる人生につながっていくのだと思います。 天理教では、ご守護を十分に頂くための「順序」の大切さを教えられています。 「まいたるたねハみなはへる」 「人をたすけて我が身たすかる」 まず、種を蒔くという行動があってこそ、その先に芽生えを見ることができます。また、あくまで人をたすけて我が身がたすかるのであって、「自分がたすかったら人をたすけますよ」では順番が逆なのです。それではいつまで経っても、神様のご守護に浴することはできません。 地球上...
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あらすじ・解説

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。

天理教の時間「家族円満」に寄せられたリスナーの声

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