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東京閾値

著者: TBS RADIO
  • サマリー

  • 「ずっとそこにあった東京に気づく」をコンセプトに、ディレクターが毎週、東京にゆかりのある方、普段余り顧みられない東京の一角に赴いてインタビューを試みるドキュメント番組。 20年間、上野公園の階段で似顔絵師をしている男性が語る余りにピンポイントな東京史、東洋一の歓楽街・新宿で生まれ育った玉袋筋太郎さんが語る衝撃の少年時代の思い出などなど、その人の中にしかない「東京」をじっくり伺います。 番組作りの参考のため、以下のアンケートにご協力をお願いいたします。 https://www.tbs.co.jp/radio/podcast/en.html 制作:TBSラジオ
    TBS RADIO, Inc.
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あらすじ・解説

「ずっとそこにあった東京に気づく」をコンセプトに、ディレクターが毎週、東京にゆかりのある方、普段余り顧みられない東京の一角に赴いてインタビューを試みるドキュメント番組。 20年間、上野公園の階段で似顔絵師をしている男性が語る余りにピンポイントな東京史、東洋一の歓楽街・新宿で生まれ育った玉袋筋太郎さんが語る衝撃の少年時代の思い出などなど、その人の中にしかない「東京」をじっくり伺います。 番組作りの参考のため、以下のアンケートにご協力をお願いいたします。 https://www.tbs.co.jp/radio/podcast/en.html 制作:TBSラジオ
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エピソード
  • 台風前、浅草地下商店街にて #23
    2023/10/01
    大型台風13号が東京に最接近したその日、松重ディレクターと筆者は「こんな日だからこそ、どんな方がいるのだろう」と息巻いて浅草地下商店街へと向かったのです。 誰もいません。本当に、誰も。全休符。ただ錆色の沈黙が広がるばかり。「何で誰もいないんだろうか」など思わず愚問が唇から溢れましたが、答えは今ほど述べた通りでした。台風です。人は、帰るのです。同語反復も良いところです。 加えて時刻はまだ夕方。17時を回ったか回らないか。シャッターが下ろされた飲食店の営業時間は18時以降が多いのです。浅草地下商店街に直結の地下鉄へと続く道を人々が帰っていくなか、時間、やること、持て余せるもの全てを持て余して天井を見上げればむき出しのダクトより、水が滴り落ちてきます。いかなる俳人をしても風流を見出せない水滴が、床に溜まっていきます。 諦めてはいけません。幸いにも浅草地下商店街入り口に座っていた男性にお話を伺うことができました。男性は普段、浅草、押上周辺を主に拠点とされており、今は台風を避けるため、一時的に地下商店街に座っておられたとのこと。 これまでの職歴やご出身、普段のルーティンなど男性は訥々と初対面の我々にお話してくださいました。一点、どうしても気になることがありました。男性は、指輪をはめていらっしゃったのです。薬指に。 訊いて、よいのでしょうか。 ちらほら、地下商店街のお店のシャッターが開き始めています。天井から床に滴った水を店主の方がモップで拭いております。そろそろ台風の夜が始まろうとしています。振り返れば男性はもう、別の拠点へと向かっておりました。 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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    30 分
  • 台風前、浅草地下商店街にて《後編》 #24
    2023/10/01
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    30 分
  • 《秋葉原ラジオセンター》御年93の店主が営む、菊地無線電機  #25
    2023/10/01
    秋葉原駅すぐ隣にある「ラジオセンター」。開業は1949年。様々な細かい電子パーツを扱う店舗が犇めき合うこの小さな商業施設の二階にあるのが今回、お邪魔した「菊地無線電機」。店主の菊地さんは昭和4年(1929年)生まれの94歳。先ほどの阿久悠より八つ年上であり、同級生に誰がいるのかといえばオードリー・ヘプバーンです。放送でもあった通り、さらりと「GHQ」や「進駐軍」という単語を繰り出されます。それこそ「区役所の人」くらいの軽さで。歴史の地層が眼前に聳え、崩れ、肩まで埋まります。 赤坂に生まれ芸者さんに可愛がられていた幼少時代の話などは溝口健二が撮ってないのがおかしいほど。毎日のように赤坂に通勤している我々からすれば、赤坂は「吉そば」がある町です。あとは「スナック玉ちゃん」でしょうか。間違っても芸者さんがいる町ではないのです。 さて戦前から戦後にかけての壮絶なエピソードが語られるなか、徐々に私たちの心に翳りが生じ、広がっていくのがわかります。ある意味では「告白」に近いのですが私たち(少なくとも筆者)は、ラジオ番組の仕事をしていながらもいわゆる電器としての「ラジオ」を所持していないのでした。気づけばradikoで聴くようになって久しく、「菊地無線電機」に陳列されている様々なラジオの部品を見ても、一体何の部品かまるで分からないのでした。世の趨勢に従ったと言えば簡単ですが、それでも呵責はベトついて離れません。 「ラジオはね、あんまり聴かないんです」 インタビューの終盤に飛び出した菊地さんのこの言葉は、ラジオを持たぬ呵責の中にいた私たちからすれば、福音でした。菊地さんは七十年以上、ラジオの部品を販売していらっしゃいますが、別段ラジオ番組がお好きというわけではなかったのです。なんというか「ラジオ」と「番組」を扱う人間のそれぞれの凹凸が噛み合った気がします。 恐らく「ラジオ」はこれからも変わっていくのでしょう。 御知らせの通り、今回で『東京閾値』の地上波における放送は一旦終了となります。ご愛聴いただいた方々には感謝を通り越して、なんというかもう、同じ家系図に組み込まれたい、そんな想いでいっぱいです。本当に、本当に、ありがとうございました。 さて次の『東京閾値』はどんな「ラジオ」になるのでしょうか。はたまた上野公園の階段下にいたお二人はお元気でしょうか。南蒲田の人々は「えちごや」というラーメン屋を思い出したでしょうか。浅草で髪を切った時の代金は経費になるのでしょうか。東京閾値は、ずっとそこにあります。 甚謝:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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    30 分

東京閾値に寄せられたリスナーの声

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