エピソード

  • 台風前、浅草地下商店街にて #23
    2023/10/01
    大型台風13号が東京に最接近したその日、松重ディレクターと筆者は「こんな日だからこそ、どんな方がいるのだろう」と息巻いて浅草地下商店街へと向かったのです。 誰もいません。本当に、誰も。全休符。ただ錆色の沈黙が広がるばかり。「何で誰もいないんだろうか」など思わず愚問が唇から溢れましたが、答えは今ほど述べた通りでした。台風です。人は、帰るのです。同語反復も良いところです。 加えて時刻はまだ夕方。17時を回ったか回らないか。シャッターが下ろされた飲食店の営業時間は18時以降が多いのです。浅草地下商店街に直結の地下鉄へと続く道を人々が帰っていくなか、時間、やること、持て余せるもの全てを持て余して天井を見上げればむき出しのダクトより、水が滴り落ちてきます。いかなる俳人をしても風流を見出せない水滴が、床に溜まっていきます。 諦めてはいけません。幸いにも浅草地下商店街入り口に座っていた男性にお話を伺うことができました。男性は普段、浅草、押上周辺を主に拠点とされており、今は台風を避けるため、一時的に地下商店街に座っておられたとのこと。 これまでの職歴やご出身、普段のルーティンなど男性は訥々と初対面の我々にお話してくださいました。一点、どうしても気になることがありました。男性は、指輪をはめていらっしゃったのです。薬指に。 訊いて、よいのでしょうか。 ちらほら、地下商店街のお店のシャッターが開き始めています。天井から床に滴った水を店主の方がモップで拭いております。そろそろ台風の夜が始まろうとしています。振り返れば男性はもう、別の拠点へと向かっておりました。 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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    30 分
  • 台風前、浅草地下商店街にて《後編》 #24
    2023/10/01
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  • 《秋葉原ラジオセンター》御年93の店主が営む、菊地無線電機  #25
    2023/10/01
    秋葉原駅すぐ隣にある「ラジオセンター」。開業は1949年。様々な細かい電子パーツを扱う店舗が犇めき合うこの小さな商業施設の二階にあるのが今回、お邪魔した「菊地無線電機」。店主の菊地さんは昭和4年(1929年)生まれの94歳。先ほどの阿久悠より八つ年上であり、同級生に誰がいるのかといえばオードリー・ヘプバーンです。放送でもあった通り、さらりと「GHQ」や「進駐軍」という単語を繰り出されます。それこそ「区役所の人」くらいの軽さで。歴史の地層が眼前に聳え、崩れ、肩まで埋まります。 赤坂に生まれ芸者さんに可愛がられていた幼少時代の話などは溝口健二が撮ってないのがおかしいほど。毎日のように赤坂に通勤している我々からすれば、赤坂は「吉そば」がある町です。あとは「スナック玉ちゃん」でしょうか。間違っても芸者さんがいる町ではないのです。 さて戦前から戦後にかけての壮絶なエピソードが語られるなか、徐々に私たちの心に翳りが生じ、広がっていくのがわかります。ある意味では「告白」に近いのですが私たち(少なくとも筆者)は、ラジオ番組の仕事をしていながらもいわゆる電器としての「ラジオ」を所持していないのでした。気づけばradikoで聴くようになって久しく、「菊地無線電機」に陳列されている様々なラジオの部品を見ても、一体何の部品かまるで分からないのでした。世の趨勢に従ったと言えば簡単ですが、それでも呵責はベトついて離れません。 「ラジオはね、あんまり聴かないんです」 インタビューの終盤に飛び出した菊地さんのこの言葉は、ラジオを持たぬ呵責の中にいた私たちからすれば、福音でした。菊地さんは七十年以上、ラジオの部品を販売していらっしゃいますが、別段ラジオ番組がお好きというわけではなかったのです。なんというか「ラジオ」と「番組」を扱う人間のそれぞれの凹凸が噛み合った気がします。 恐らく「ラジオ」はこれからも変わっていくのでしょう。 御知らせの通り、今回で『東京閾値』の地上波における放送は一旦終了となります。ご愛聴いただいた方々には感謝を通り越して、なんというかもう、同じ家系図に組み込まれたい、そんな想いでいっぱいです。本当に、本当に、ありがとうございました。 さて次の『東京閾値』はどんな「ラジオ」になるのでしょうか。はたまた上野公園の階段下にいたお二人はお元気でしょうか。南蒲田の人々は「えちごや」というラーメン屋を思い出したでしょうか。浅草で髪を切った時の代金は経費になるのでしょうか。東京閾値は、ずっとそこにあります。 甚謝:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • 23区唯一の自然島に人は住んでいるのか《妙見島》#19
    2023/08/27
    「今日は何も為なかった。心は塞ふさがれている。昼間べか舟で「長」と妙見島へ渡り、土筆を摘んだ。柳も折って来た。慰まない。寝よう。」 「今日昼「長」をのせて青べか舟で大川を漕いだ。妙見島へ上って枯草の上に仰臥て微風の温かい陽を身に浴びた。」 山本周五郎が残した「青べか日記」において、妙見島はこのように登場しております。なお「長」とは今もある吉野屋の四代目主人であった長太郎さんのこと。 この日記が書かれたのは昭和三年頃。若かりし山本周五郎が少年と連れ立って、妙見島にべか舟で上陸し、つくしを摘んだり、枯れ草の上に寝転がったり、随分と長閑な時間を過ごしたことがわかります。 筆者も松重ディレクターと連れ立って向かいましたが、そこに広がっていたのは「サイバーパンク」な工場地帯。周五郎、話が違うではありませんか。土砂運搬用の大型トラックが道路を往き交い、昼寝などしようものなら轢かれるだけです。 「青べか日記」の時代から百年近くが経過し、すっかり「工業島」となった妙見島。ここで働いている方にお話を伺おうというのが今回の『東京閾値』です。 何名かの方に簡単にお話を伺ったのですが、共通していたのは「特に妙見島に愛着はない」ということ。いくら二十三区唯一の「自然島」と言われていようが、タモリ倶楽部がやってこようが、そこに勤めている方からすれば「職場」に過ぎません。 さて、気のせいでしょうか。 午後6時を過ぎて、急激に人の数が少なくなってきています。工場の稼働もなくなり、トラックもどんどん島から出るばかり。 嫌な予感がします。 そういえば、この妙見島に住んでいる方はいらっしゃるのでしょうか。いないなら、この帰宅ラッシュを逃したら、妙見島は無人島になってしまうのでは。もしそうなったら撮れ高不足です。いよいよ島唯一の老舗ラブホテル「ルナ」の入り口で誰かくるのを待つしかないのでしょうか。 島に灯りが消え、希望も消え、宵闇に包まれる中、はるか向こうに赤い火が見えました。人魂でしょうか。いや、タバコです。希望の火です。まだ人が残っていました。でも一体、どうしてこんな時間まで。 「会社の寮に、住んでるんですよ」 まごうことなき、妙見島で暮らしている島民でした。 大きな会社があれば、会社寮があっても不思議ではありません。 男性はこれから十分かかけて、浦安へひとり飲みに行かれるとのこと。 「青べか日記」のような長閑で楽しげな雰囲気が男性から伝わってきます。 護岸と堤防工事ですっかり輪郭が固められた妙見島。地図でみればその形状は驚くほど「べか舟」に似ているのです。 副読本:山本周五郎『青べか物語』と『青べか日記』 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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    30 分
  • 玉ノ井親方(元栃東関)の《これからの足立区》#13
    2023/08/27
    できることなら、お相撲さんがいる町に住みたいですよね。 唐突に不特定多数に同意を求めてしまいましたが、玉ノ井親方の今回のお話を聞いて殊更にその想いを強くしてしまった次第です。 玉ノ井親方が現役を引退し、部屋を継いだのが2009年。お弟子さんたちの育成は勿論のこと、西新井の地元の方々との交流を大切にされてこられたことは放送中でもあった通りです。 「警察署や消防署とタイアップして色々な行事とかに出てですね」 深夜の往来を容貌魁偉なお相撲さんが歩くだけで犯罪率が低下すること請け合い。これは単に屈強な男ゆえの抑止力という意味のみならず、お相撲さんが纏う不可侵性がそうさせるのです。現に野球選手を「お野球さん」、クリケット選手を「おクリケさん」と言わないのに、相撲のプロだけを「お相撲さん」と呼ぶこと自体、神性の証。果たしてお相撲さんの前で誰が自転車を盗もうとするでしょうか、誰がPS5を転売するでしょうか、誰が大統領を暗殺するでしょうか。 足立区の治安が劇的に改善されてきた背景に「玉ノ井部屋」の存在が無関係とは思えません。仮に治安が悪い地域にお相撲さんの一団を派遣したとしましょう。さすれば、あっという間に悪の枢軸は砕かれ、平和の塩が撒かれ、誰もが立ち入り可能な聖域が生まれているはずなのです。筆者は『サンクチュアリ -聖域-』を勝手にそういう話だと思い込んでおります。今から、確認します。どうか間違っていませんように。 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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    26 分
  • 野方文化マーケットと《オンリーワン》#16
    2023/08/27
    「最寄りのコンビニの店員さんが最近、派手な髪色から黒髪に戻してしまったけど(所属しているに違いない)バンドの方向性が変わったのだろうか?」など不要な憶測をしてしまう人が、誰の中にも一人や二人、いらっしゃるはずです。筆者の場合、野方という町にいました。 ちょど中野駅と高円寺駅を底辺に、二等辺三角形を描くような位置にあるのが野方。熱心なハルキストである皆様のことです。「ああ、『海辺のカフカ』で謎の老人、中田さんが住んでいた町ね」とピンときていることでしょう。さてそんな『海辺のカフカ』には一切、描かれなかった場所が今日の舞台です。 袋小路に蓋をして、闇市ごと煮詰めたような外観。春樹が書きこぼすのも無理はありません。かりに「大島渚がマイクを持って、襲いかかる野坂昭如たちを打擲しまくる一人称視点ゲーム」があったとすれば、最初のステージに設定されそうな場所です。この前提の時点で既に読み手を突き放していることは重々承知ですが、先を急ぎましょう。そんな野方文化マーケットに於いて尚ひときわ、異彩、というか異音を放ち続けているのが、こちらのお店。 2畳ほどの店舗に床から天井まで隙間なく積み上げられた、大量の鞄や衣類や楽器たち。朝から晩まで野方の路地に響き続ける「安いよ、安いよ、なんでも修理やってます」という不穏な電子音声。店の名前は「オンリーワン」。輸入雑貨を取り扱い、萬の修理をしてくれるお店なのですが、その店主こそ、筆者がかつてこの町を引っ越す際に「何者か知りたかった人」に他なりません。 筆者が住んでいた2009年頃ですが、店主の方が黒髪から白髪になったくらいで、あとは何もひとつ変わりません。強いて言えば、筆者が学生から取材スタッフになったくらいでしょうか。「すみません。TBSラジオで『東京閾値』という番組のスタッフをしている者なのですが、取材させていただいてもよろしいでしょうか。」 いただいた名刺には「黄克誠(コウカセイ)」というお名前が記されております。ご年齢は現在、63歳。肌艶は桃色。「お若いですね」と伝えれば「美味しいもの食べてるからね」と莞爾と笑うのです。都合上、松重ディレクターに取材を交代し「野方を代表する謎の人物」の半生を伺いました。 1960年代。カンボジアにおいて極めて裕福な家庭に産まれ育ち(ご本人の言葉を借りれば「ボンボン」)何不自由することなく幼少期を過ごしたコウさんでしたが青年期を迎える頃にカンボジア・ベトナム戦争が激化。富裕層だったコウさんは台湾へと留学(亡命)。その後、台湾での徴兵に際して、知人を頼りに再び日本へと亡命され、もともと手先が器用だったことから電子機器、精密機械の修理方法を独学で身につけ、暫くは原宿を中心にフリーマーケットで生計を立て、2000年代に家賃が安いという理由で野方へとやってこられたのです。この凄絶な人生を、まるで「一回、結婚に失敗したことがある」くらいのテンションで話してくださるのです。聞き手である我々からすれば、途中からコウさんの唇から溢れる言葉の重さに耐えきれなくなり、呆然。 延々と流れ続ける「なんでも修理やってます」という電子音声が、鼓膜を超えて深々と、脳に、刺さるばかり。その後、ご家族はどうなったのでしょうか。無事、再会することはできたのでしょうか。 「地雷にあたって、死んだ。探しに行ったけど、無理だね。泣いたよ」 さらに、続けて、 「一人になって、だから、店の名前も、オンリーワン」。 文責:洛田二十日 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • 五十嵐書店と《早稲田古書店街》#14
    2023/08/27
    まったく十八歳、十九歳の頃なんて古本屋さんに行くしかありません。それは決して稀覯書の蒐集を趣味とする粋人の遊びという訳ではなく、切実なまでに金がないからです。ガムシロップを水で薄めて飲む生活を送るよりほかありません。そんな十八歳たちにとって一冊十円で文庫本を売っているような古書店は「ここだけ資本主義が届いていない」という驚きを齎してくれるものでした。 そんな早稲田古書店街の中に於いて「五十嵐書店」だけは異彩を放ち続けております。店構えをご覧になっていただければ分かる通り、コンクリート打ちっ放しの外壁にガラス張りと瀟洒を極めた佇まい。何でしょうか。区営の「表参道っぽさを感じさせる装置」か何かとしか思えないのです。少なくとも表紙の破れた中島らものコラムとかは陳列されていないこと請け合い。 従って放送の冒頭、松重ディレクターが「番組作家が激推しの」といった触れ込みでお邪魔した五十嵐書店様ですが現実は寧ろ逆であり、十八、十九歳の切実なまでに古本を欲していた頃は緊張で足早に通り過ぎていたお店なのです。だからこそ「ずっとそこにあった東京に気づく」という番組コンセプトを敷衍、援用してこの度、取材を申し込ませて頂いた次第でありました。 実際、五十嵐書店さんこそ早稲田古書店街の中核をなす老舗書店。2代目の発案で以って現在の店構えに建て直したことは放送でもお伝えした通り。そんな五十嵐書店の先代であり創業者である五十嵐智さんが帰り際、「参考までに」と一冊の本を渡してくださいました。 本のタイトルは『五十嵐日記 古書店の原風景』(笠間書院)。そこには放送には載らなかった五十嵐さんが早稲田に店を構える前。神田神保町の修行時代、つまりは十八、十九歳の頃の前日譚が克明に記されておりました。例えば1953年、昭和28年月8月3日の日記を引用しましょう。 「毎日、夜遅くなるので本を読む時間がなく、日記をつけるので精一杯(中略)閉店後、寝床までに時間が少ないのが一番苦しい。(中略)世界は進んでいる。私は停滞している。これでは残されてしまう」 この時、五十嵐さんは十八歳。郷里山形より上京し、夜間大学への進学を考えつつも殆ど休みなく働き詰めの生活を送っておりました。冒頭、私は「まったく十八歳、十九歳の頃なんて古本屋さんに行くしかありません。」なんて書きましたが実際のところ、その古本屋さんの主人が十八歳、十九歳だった頃は、そんな時間すらなかったのです。身を粉にしてなお「私は停滞している」と言ってのける五十嵐青年の底なしの向上心を前にすれば、筆者のような人間は完全に停止した綿埃も同じ。突如襲ってきた焦燥感を解消するべく、当時購った中島らもやら町田康やらの本を引っ張り出して今より五十嵐書店に向かいましょうか。きっと買い取ってくださるでしょう。でも、それを買い取ってくれるのは十八歳ではなく、六十年の時を経た、八十八歳となった五十嵐青年。そう、世界は進んでいるのです。五十嵐青年ではなく、筆者が停滞しているのです。停滞しているのなら、せめて、記録を。 副読本:『五十嵐日記 古書店の原風景』(笠間書院) 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • 中野ブロードウェイ地下で58年間商いを続ける「フナリヤ」 #20
    2023/08/27
    「ちょっとインタビューの間、うろちょろしていてください」 ディレクターの松重にそう言われたので、構成スタッフの筆者は「うろちょろ」を余儀なくされました。場所はサブカルの聖地、中野ブロードウェイの地下に拡がる商店街。 今回、訪れた先は中野ブロードウェイ開業当初から店を構えている珍味、乾物のお店フナリヤさん。そのご主人である坂本さんにお話を伺えることになったのです。諸々の理由を加味した上で「ここは一人で行った方が良い」という判断を松重は下し、同行する筆者に対し冒頭の指示を直前になり与えたのでした。 さて、遠くで松重がフナリヤのご主人にインタビューする声を聴きながら、致し方なくこの「放送後記」をすぐ近くのベンチで書き始めます。大の大人は急に言われても理由なく「うろちょろ」できないものです。なにせ仕事で来たのですから。自分を納得させるだけの大義名分が欲しいものです。 インタビューが行われている間は、その周囲の様子に関する記録を残すことにしましょう。 「じゃあもう六十年近く、フナリヤさんはあるのですか」 いつにも増して松重の声が地下商店街によく聞こえます。なぜでしょうか。そもそも、地下商店街が閑散としているのです。思えば、フナリヤさんの周囲の商店もシャッターを下ろしていました。どうやら水曜日は定休日の商店が多いようです。降ろされたシャッター群が、松重の声を反響し、増幅。 もともと築地に勤めて入られたご主人の坂本さんが恩人であり、中野ブロードウェイの生みの親でもある実業家にして医学博士でもあった宮田慶三郎氏との運命的な出会いの様子がほぼ「館内放送」レベルで響いております。 ベンチの前には「ソフトクリーム」と「うどん」というサービスエリアの良いところだけを煮詰めたような「デイリーチコ」があるのですが、半分だけシャッターが下ろされ「今日、うどん側はお休みです」という紙が貼られ、ベンチの壁側には「アイスクリームを食べないでください」という注意書きが。買ったら最後、食べ歩くしかないのです。これを買えば「うろちょろ」できる言い訳が成立しますが、「うろちょろ代」が経費になるとは到底思えません。詰みです。勝手に。 視線を上にずらすと「このベンチはお年寄り専用です。」という注意書きが。迂闊でした。人こそいませんでしたが、原則としてここに居座ることはよくないのです。それ即ち「うろちょろ」しなくてはならないことを意味します。 「居場所がないので致し方ない」という大義名分を提げ、堂々と地下商店街をうろちょろしてみれば、結句のところ閑散。中心にある鮮魚店や青果店はお休み。ただ、奥に進めば、占い処、アジア食品店、お茶屋さんなど、実に渋いお店は営業しており、さらに向こうにはこれまた実に渋い乾物屋さんが見えて来ました。若い男が、なんだか店主に、マイクを向けています。というか、松重です。フナリヤさんです。東京閾値です。あっという間に一周してしまいました。 「今はね、お店同士の繋がりは、あんまり、ないね」 何とも世知辛いお話が聞こえてきます。地下商店街の横の繋がりもお店の入れ替わりとともに弱まっているのです。そして筆者もまた今、誰とも繋がっておりません。何だ、「うろちょろしていろ」とは。無性に寂しくなります。泣きそうです。今泣いたら中年の嗚咽がシャッターで増幅されます。当然、マイクは拾うでしょう。事故です。 慌てて二階に駆け上がり、「まんだらけ」で『ウルトラセブン』に登場するペガッサ星人を二体購入。彼らもまた、居場所がない寂しくうろちょろした宇宙人でした。さて、インタビューが終わったと見える松重がこちらに向かって来きます。果たして「ペガッサ代」を経費で落とせるか、どうか。その閾値を探ります。 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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