エピソード

  • かしわばやしの夜
    2025/06/08

    📖『かしわばやしの夜』朗読 – 月光に踊る木々たちとの不思議な一夜🌙🌳

    静かに語られる物語の世界へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の『かしわばやしの夜』。

    夕暮れ時の野原で、ひえの根もとに土をかけていた清作の耳に、かしわばやしから響く奇妙な声——「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン」。

    銅づくりのお日様が南の山裾に落ち、野原がへんにさびしくなった頃、その声に導かれるように林へ向かった清作が出会ったのは、赤いトルコ帽をかぶり、鼠色のだぶだぶした服を着た背の高い画かきでした。最初は険悪な雰囲気でしたが、清作が「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」と叫び返すと、画かきは急に機嫌を直し、二人は一緒に林の奥へと向かいます。

    林の中は浅黄色に染まり、肉桂のような甘い香りに満ちています。そこで出会う柏の木たちは不思議な生き物たちでした。片脚を上げて踊りの真似をしていた若い柏の木は、二人を見てひどく恥ずかしがり、清作をちょっとあざ笑います。清作をつまずかせようとするごつごつした古木、風に乗って「せらせらせら清作」と囃し立てる木々——しかし清作は負けずに「へらへらへら清作、ばばあ」と言い返し、木々を驚かせてしまいます。

    やがて二人がたどり着いたのは、十九本の手と一本の太い脚を持つ柏の木大王の元でした。大王は清作を「前科九十八犯」と呼び、山の木を切った罪を問い詰めます。清作は山主の藤助に酒を買ってちゃんと許可を得ていると反論しますが、「なぜ俺には酒を買わないのか」という大王との問答は平行線をたどります。

    そんな中、東の山脈に桃色の月が昇り、あたりの空気が一変します。若い柏の木たちは両手を月に向かって伸ばし、「おつきさん、おつきさん、おっつきさん」と歌い始めます。柏の木大王もまた、月への讃美歌を朗々と歌い、画かきの提案で不思議な夜の祭典が幕を開けます。やがて「のろづきおほん、おほん、おほん」と奇妙な囃子言葉とともに現れるふくろうの一団も加わり、月光の下で繰り広げられる幻想的な音楽会は思いがけない展開を見せていきます——。

    この物語は、宮沢賢治独特の豊かな想像力と詩的な言葉遣いに満ちています。現実と幻想の境界があいまいになる夕暮れ時から夜にかけて、木々が人間のように振る舞う不思議な世界が展開されます。気の荒い清作と気まぐれな画かき、意固地な柏の木大王と清作をからかいたがる若木たち、そして夜の森に住むふくろうたちが織りなす交響楽は、月光の下でどのような展開を見せるのでしょうか。

    宮沢賢治の筆が描く、月光に包まれた幻想の森の一夜。ユーモアと詩情、そして人間と自然の微妙な関係を描いたこの不思議な物語を、朗読でじっくりとお楽しみください。

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    32 分
  • 山男の四月
    2025/06/01

    🎧 宮沢賢治「山男の四月」朗読 – 春の陽だまりで始まる、不思議な変身譚。現実と幻想が溶け合う、静謐な午後の物語。

    春の日、金色の目をした山男が檜林で狩りをしていました。兎を狙っていたのに捕まえたのは山鳥。獲物を手に日当たりの良い枯れ芝の上で横になると、紫色のかたくりの花がゆれ、青い空には白い雲がふわふわと流れていきます。「飴というものはうまいものだ。天道は飴をうんとこさえているが、なかなかおれにはくれない」――そんなことをぼんやり考えながら空を眺める山男の心は、なんだかむやみに軽やかになっていきます。

    やがて山男は町へと向かい、入口の魚屋で軒に吊るされた茹で蛸に見とれています。「あのいぼのある赤い脚のまがりぐあいは、ほんとうにりっぱだ」と感心していると、大きな荷物を背負った中国人の行商人が現れます。「あなた、支那反物よろしいか。六神丸たいさんやすい」と声をかけてきて、「長生きの薬」を勧めるのですが……。

    この作品には、宮沢賢治特有の精緻な自然描写と、どこかとぼけた味わいの会話が織り交ぜられています。山男の素朴で率直な物の見方、中国人行商人の片言の日本語、そして静かに流れる春の時間――それらが重なり合って、読む者を不思議な世界へと誘います。

    「雲というものは、風のぐあいで、行ったり来たりぽかっと無くなってみたり、俄かにまたでてきたりするもんだ」という山男の呟きのように、この物語もまた、現実と非現実の境界をゆらゆらと行き来しながら展開していきます。

    春の陽だまりの心地よさと、どこか不安な予感とが入り混じる、独特の雰囲気を、心に響く朗読でゆっくりとお聞きください。


    #毒 #夢

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    25 分
  • 水仙月の四日
    2025/05/25

    🎧 宮沢賢治『水仙月の四日』——冬の荒野に舞う雪の精たちと、人間の子どもが織りなす神秘的な物語

    深い雪に覆われた冬の荒野。人の目には見えない雪狼たちが走り回り、林檎のように輝く頬を持つ雪童子が丘を駆け上がっていきます。その遠くでは、赤い毛布にくるまった一人の子どもが、「カリメラ」という砂糖菓子を作る夢を思い描きながら、必死に家路を急いでいました。

    空は晴れ渡り、太陽は冷たく輝いています。しかし突然、西北から風が吹き始め、灰色の雲が立ち込めてきます。それは、ぼやぼやした灰色の髪と猫のような耳を持つ雪婆んごが戻ってきた証——「水仙月の四日」という特別な日に、彼女は容赦なく吹雪を命じるのです。

    革むちを鳴らす雪童子たち、赤い舌を出して駆け回る雪狼たち。荒れ狂う吹雪の中、あの赤い毛布の子どもは足を雪から抜けなくなり、よろよろと倒れて泣いています。子どもの姿を見た雪童子は立ち止まり、考え込み、そして突然走り出しました…

    この作品は宮沢賢治の『注文の多い料理店』(1924年)に収録された幻想的な冬の童話です。表面上は雪の精霊たちの不思議な世界と人間の子どもの遭遇を描いた物語ですが、その奥には、人間と自然の微妙な関係性、そして自然の持つ美しさと恐ろしさの両面が描かれています。

    賢治の世界観の中では、自然は単なる背景ではなく、意志を持つ存在として描かれます。雪婆んごの無慈悲さと雪童子の微かな同情心の対比は、自然の二面性を象徴しているようです。「水仙月の四日」という神秘的な時間軸は、人間の理解を超えた自然界の法則があることを示唆しています。

    この物語からは、吹雪の中で足を取られた子どもの姿を通して、自然の圧倒的な力の前に立つ人間の儚さが感じられます。同時に、雪童子が子どもに示す微かな優しさからは、人間と自然の間に可能な調和の希望も垣間見えるのです。

    雪に埋もれながらも「カリメラの夢を見ておいで」と囁かれる子ども。 危険と保護が入り混じる雪の包み込み。 見えるものと見えないものの境界線が溶け合う、神秘的な冬の風景——

    それは、宮沢賢治が生涯をかけて描き続けた「イーハトーブ」の世界の一片です。目に見える現実と、目には見えない精神世界や自然の意志が交差する場所。そこでは、人間は自然の一部として生かされ、時に試され、そして守られているのです。


    #童子 #星座

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    24 分
  • 注文の多い料理店
    2025/05/18

    🎧 宮沢賢治『注文の多い料理店』——文明の虚飾と自然のまなざしが交差する、静かな山中の寓話

    深い山奥。木の葉がかさかさと音を立て、白熊のような犬が命を落とすほどの不気味さが満ちる森の中を、都会からやってきた二人の若い紳士がさまよっていました。狩猟に訪れた彼らは、立派な身なりと高価な猟銃を手に、都会的な自信と階級的な優越感をまとっています。

    しかし、思いもよらぬ事態に見舞われる中で、彼らの目の前に突如として現れたのは、一軒の瀟洒な西洋館——「山猫軒」と名乗る西洋料理店でした。

    「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」
    入口に掲げられたやさしい言葉に誘われ、空腹を抱えた二人は、疑いもせずその扉を開きます。けれども、内部には「当軒は注文の多い料理店です」という、不可解なメッセージが。さらに進むごとに、彼らに突きつけられる「注文」は次第に異様さを増していきます——
    「髪を整えてください」「鉄砲を置いてください」「外套を脱いでください」……
    次第に“食べられる側”へと誘導されていくその構造に、彼ら自身はなかなか気づくことができません。

    この物語は、宮沢賢治が生前に出版した唯一の童話集『注文の多い料理店』(1924年)の表題作です。表面上は奇妙でどこかユーモラスな童話として進みますが、その奥には、文明の奢りや都会的階級意識に対する、深い懐疑と批評精神が流れています。

    宮沢賢治自身もこの作品を、「都会文明と放恣な階級とに対する、やむにやまれぬ反感」の現れと述べています。豊かさを当然のものとし、自然や地方を軽んじる者たちが、自然そのものに試され、翻弄される——そんな静かな逆転劇が、穏やかな語り口のなかにひそやかに潜んでいます。

    そしてもう一つ、この物語が持つ魅力は、どこか“透明な皮膚”のように、読者自身の価値観を映し出すところにあります。読者はいつしか、二人の紳士に自分を重ねながら、「自分はこの物語のどの側にいるのか?」と問われることになるのです。

    “食べる側”から“食べられる側”へ。
    支配する者から、自然に迎えられる者へ。
    文明社会の中で無自覚に抱いている価値観が、ふとぐらつくような感覚——
    それこそが、この物語の静かな余韻なのかもしれません。

    自然の中で、人間とは何かを見つめ直すこと。
    それは、宮沢賢治の全作品に共通する、大きなテーマでもあります。


    #猫 #傲慢

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    23 分
  • 烏の北斗七星
    2025/05/11

    🎙️ 宮沢賢治「烏の北斗七星」朗読 – 冬の曇天にひらめく銀の星。黒い羽根の艦隊が描く、詩と幻想の空中叙事詩。

    冬、空はつめたい雲に覆われ、雪におおわれた田野には、昼と夜の境が曖昧になるような、青白い光が差し込んでいます。そんな中、地面すれすれに垂れ込めた雲に行く手を阻まれた烏たちが、雪原に翼を休めていました。

    彼らは、ただの烏ではありません。宮沢賢治がその独自の比喩と空想で描き出す、"義勇艦隊"の烏たちです。まっ黒くなめらかな羽根を持ち、整列し、指令を受けて一斉に飛び立つその姿は、軍艦のように厳かで、そしてどこか滑稽で、幻想的でもあります。物語は、そんな烏たちが演習を始める一日を描くことで始まります。

    艦隊を指揮するのは、年老いた烏の大監督。声は錆びつき、灰色の目をした彼は、かつて空の号令で声を失った老練の指揮官です。その姿は「悪い人形」のようとも形容されますが、烏たちにとってはその声こそが最も尊く、頼りとすべき存在です。その号令のもと、若く俊敏な烏の大尉を筆頭に、大小さまざまな艦が順に飛び立ちます。整然と空を舞うその様は、まるで本物の空中戦隊のようで、賢治の筆致は擬人化と軍事的メタファーを縦横に駆使して、架空の鳥たちの世界を細部まで生き生きと描き出しています。

    そして物語の終盤には、空想の光景がふと静かに現実に近づいてきます。演習が終わったあと、烏の大尉は仲間の営舎には戻らず、西の空にかすかにひらめく「マシリイ」と呼ばれる銀の星を背に、さいかちの枝へと舞い降ります。そこには、かねてより婚約を交わしていた、声のよい砲艦の烏――彼の許嫁が、じっと佇んでいます。

    「おれは明日、山烏を追いに行かなければならない」
    そう告げる大尉に、許嫁は戸惑い、驚き、悲しみに言葉を失います。別れの予感が満ちる空気のなかで、大尉は「何かあったときは、自分との約束を忘れて嫁に行け」と静かに言い添えます。許嫁は涙と共に叫びます。「あんまりひどいわ、かあお、かあお、かあお……」

    ここには、単なる動物の擬人化ではない、賢治の深い比喩と思索が込められています。戦争や別離、運命といった人間の根源的な主題を、詩的な想像力で描き出すこの作品は、読み手の心に静かな衝撃と余韻を残します。

    「烏の北斗七星」は、賢治の数ある短編のなかでも、特に象徴性が高く、寓意に富んだ作品のひとつです。幻想的でありながら、現実世界の不条理や悲哀をそっと映し出すような語り口は、賢治文学の本質をよくあらわしています。

    空に浮かぶ星のように、一瞬の光がすっと心に残るこの物語を、耳でじっくり味わってみてください。
    黒い影が舞う雪原の上に、あなたの想像もまた、そっと羽ばたくかもしれません。

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    22 分
  • 狼森と笊森、盗森
    2025/05/04

    🎙️ 宮沢賢治「狼森と笊森、盗森」朗読 – 森は語り、森は黙る。人と自然が出会う、忘れられた時間の物語。
    岩手山の北、小岩井農場のあたりには、黒く深い松の森が四つ、南から北へと並んでいます。名は、狼森、笊森、黒坂森、盗森。いずれも不思議な響きを持つ名前ですが、それぞれがどのようにして生まれ、そう呼ばれるようになったのか――そのすべてを知っている者がただひとりいると、黒坂森のまんなかにある大きな岩が語った、と物語の語り手である「わたくし」は言います。
    この作品は、そうして語られた昔話を、「わたくし」が聞き手となって綴ったかたちで進んでいきます。
    物語の舞台は、岩手山の噴火のあと、一面に灰が降り積もり、そののちに草や木が芽吹き、やがて森が形づくられていくという壮大な自然の営みから始まります。やがて四人の百姓が山を越えてこの地に現れ、畑を開き、家を建て、家族とともに新しい生活を始めます。森に向かって「ここで暮らしてもよいか」と声をかけると、森が「いいぞ」と応える。自然と人とが、まるで古くからの知己のように心を通わせる場面が印象的に描かれます。
    ところが、日々が過ぎ、冬を越え、生活がようやく安定しはじめたころ、ある朝、子どもたちのうち四人が忽然と姿を消します。必死に探し回った人々が見たのは、森の奥、焚き火のまわりで栗や茸を焼いている子どもたち、そしてそのまわりを、くるくると歌いながら踊る九匹の狼たちでした。「火はどろどろぱちぱち、栗はころころぱちぱち」と繰り返される歌は、幻想的でどこか懐かしく、読む者の心に深く残ります。
    宮沢賢治が描く自然は、単なる背景ではありません。それは時に語りかけ、時に試し、時に包み込む、生きた存在として物語に息づいています。この作品でも、森は声を持ち、意志を持ち、そこに暮らす人々と向き合っています。賢治ならではの神秘性と、農民たちの素朴で力強い営みとが重なり合い、深い余韻を残す作品となっています。
    耳を澄ませれば、森の声が聞こえてくるかもしれません。風の音、葉のこすれるささやき、そして遠くから響いてくるあの歌。静かに語られるこの物語に、どうぞ心をゆだねてみてください。


    #人と動物

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    26 分
  • どんぐりと山猫
    2025/04/27

    🎙️ 宮沢賢治「どんぐりと山猫」朗読 – 一通の奇妙なはがきから始まる不思議な冒険の予兆。

    ある土曜日の夕方、一郎の家に届いた一通の不思議なはがき。
    送り主は山猫。内容はただひとつ、「あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい」。字は乱雑で、墨が手につくほどの雑さ。しかし、一郎はそのはがきに心を奪われ、次の日を待ちきれずに興奮を隠せませんでした。まるでそれが何か大きな冒険の始まりを告げるかのように、胸が高鳴ります。

    翌朝、一郎が目を覚ますと、すっかり明るくなっていました。外の山々はまるで昨日新たに作られたかのようにうるおい、すっきりとした風が吹き抜けていました。急いで食事を済ませ、ひとり山へと向かう一郎。道中、彼は不安と興奮を感じながらも、次々と現れる木々や滝、動物たちに出会い、そのすべてに山猫の足跡を追って行きます。

    栗の木に、滝に、きのこに、リスに――どれもが一郎に「山猫は今、違う方へ行ったよ」と答えるのです。そのたびに一郎は疑問を抱きつつも、もっと深く、もっと遠くへ進んでいく決意を固めます。果たして、その先に待っているのは何か、彼の目に映るのはどんな景色なのか。興奮と共に物語は進み、山の奥へと一郎は足を踏み入れていきます。

    『どんぐりと山猫』は、宮沢賢治の中でも独特な世界観を持った物語で、ユーモアと幻想が絡み合っています。山猫という不思議な存在を通して、子どもたちと自然の深い結びつき、または大人たちが忘れてしまった感覚を呼び覚ますような作品です。賢治が描く自然は、ただの背景ではなく、物語の一部として生き生きと動き、物語をより深く、豊かなものにしています。

    この朗読では、賢治の言葉のリズムを大切にしながら、静かな冒険へと誘います。どこか懐かしく、でも新鮮なこの物語は、子どもから大人まで、誰もが楽しめる内容です。特に自然の中で過ごす時間や、何気ない日常の中にある小さな冒険を感じることができる一篇となっています。

    それでは、冒険のはじまりを、どうぞお楽しみください。

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    26 分
  • 『注文の多い料理店』序
    2025/04/20

    🎙️ 宮沢賢治「『注文の多い料理店』序」朗読 – 透明な風と桃色の朝をめぐる、ことばのはじまり。

    『注文の多い料理店』――宮沢賢治が生前に世に送り出した、最初で最後の童話集。
    その冒頭に置かれた「序」は、作品全体を貫く感受性と、作者のまなざしを静かに伝える短い文章です。
    このエピソードでは、その「序」の全文を、丁寧な朗読でお届けします。

    この「序」は、いわゆる前書きや解説のような性質のものではなく、
    読み手に静かに語りかけるような、親密な雰囲気をまとっています。
    氷砂糖、すきとおった風、桃いろの朝、森の中のびろうど――
    それらは、どこか現実と夢のあいだにあるような風景として描かれ、
    物語が生まれた源のような感覚をにじませます。

    賢治は、この本のなかに「わたくしには、そのみわけがよくつきません」と正直に綴ります。
    ある物語は「あなたのためになる」かもしれず、あるものは「わけのわからないところもある」と。
    けれども、それでも「どうしてもこんなことがあるようでしかたない」という、
    切実な思いを、そのまま差し出すように書かれています。

    今回の朗読では、その素朴でやわらかな言葉の流れを大切にしながら、
    耳にすっとなじむ声でお届けします。
    ページをめくるのとはまた違うかたちで、
    「序」のことばのなかにある静かなひかりを感じていただけることでしょう。

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    4 分