エピソード

  • 2024年11月21日(木)放送「大津祭」
    2024/11/21
    江戸時代、大津のまちを繫栄させた「港町」「門前町」「宿場町」。 それぞれの地域には、それぞれに影響力を持ち、かかわりの深い神社がありました。 「門前町」として栄えた地域は、「三井寺に関わりのある神社」の氏子となっていて 「宿場町」の地域は「蝉丸神社」の氏子。 「港町」として栄えた地域は「天孫神社」の氏子地域でした。 そのため、天孫神社が行う「大津祭」は、港町として繁栄した町の財力をもとに、 大きく発展を遂げたんですね。
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  • 2024年11月14日(木)放送「江戸時代の大津」
    2024/11/21
    大津宿には2軒の本陣がありました。江戸時代当時の本陣は広く、 3階の楼上から見る琵琶湖の眺めは絶景だったと伝わります。 現在、建物は残っていませんが、本陣があった場所には記念碑が建てられています。 この時代、「大津宿」を利用した旅人の人気を集めた土産物がありました。 それは「大津絵」です。
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  • 2024年11月7日(木)放送「江戸時代の大津」
    2024/11/21
    安土桃山時代になると、織田信長や豊臣秀吉は、天下統一のなかで、大津を重視しました。 その後、秀吉は、大津に城を築きました。 大津城は関ヶ原の合戦後は廃城となり、大津は幕府の直轄地となりました。 大津城の本丸跡には、大津代官所と幕府の蔵が置かれ それまで「城下町」だったまちは「商業都市」へと整備されていきました。 そしてこれが、江戸時代中期に「大津百町」と言われ繁栄した時代のはじまりなのです。
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  • 2024年10月31日(木)放送「大津宮と近江神宮」
    2024/11/21
    「小倉百人一首」の巻頭は、天智天皇が詠んだ 「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」という歌です。 この歌が、小倉百人一首の巻頭に納められていることで、天智天皇を祀る「近江神宮」は 「かるたの聖地」と呼ばれ、かるたに関するさまざまな行事が行われているほか、 境内にはたくさんの句碑や歌碑が設置されているんです…
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  • 2024年10月24日(木)放送「大津宮と近江神宮」
    2024/11/21
    壬申の乱を経て、都が再び飛鳥に戻り、大津宮が「廃都」となってしまいました。 その後は「草の生い茂る場所になっていた」と、 「柿本人麻呂」が歌に詠むほどになっていたようです。 それでは、大津宮と同時期に建っていたいくつもの寺院は、 都が去った後、どうなっていったのでしょうか…
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    23 分
  • 2024年10月17日(木)放送「大津宮と近江神宮」
    2024/10/24
    「大津宮」が大津のどの場所にあったのか、詳しい場所は長らくわかっていませんでしたが、 昭和49年の調査で、大津市の錦織(にしこおり)地区から、建物の一部とみられる遺構が発見され、 「大津宮」の場所が明らかとなりました。
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  • 2024年10月10日(木)「大津宮と近江神宮」
    2024/10/24
    「大津宮」は天智天皇がかつて大津にひらいた「都」で、 「近江神宮」は、その天智天皇を祀り、かつて大津宮があったあたりに建っている神社です。 「大津宮」とはどのような都だったのでしょうか。 そして「近江神宮」とはどのような神社なのでしょうか。
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  • 2024年10月3日(木)放送「栗東市」
    2024/10/24
    栗東で「空き家を利活用する取り組み」をされているNPO法人くらすむ滋賀は 活動を続ける中で、地域の方々と交流する機会が増え、地域の名物料理である 「豆腐田楽」を提供するお店の運営に取り組むことになったそうです。 その思いをお伺いしました。
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    22 分