エピソード

  • 2024年10月17日(木)放送「大津宮と近江神宮」
    2024/10/24
    「大津宮」が大津のどの場所にあったのか、詳しい場所は長らくわかっていませんでしたが、 昭和49年の調査で、大津市の錦織(にしこおり)地区から、建物の一部とみられる遺構が発見され、 「大津宮」の場所が明らかとなりました。
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  • 2024年10月10日(木)「大津宮と近江神宮」
    2024/10/24
    「大津宮」は天智天皇がかつて大津にひらいた「都」で、 「近江神宮」は、その天智天皇を祀り、かつて大津宮があったあたりに建っている神社です。 「大津宮」とはどのような都だったのでしょうか。 そして「近江神宮」とはどのような神社なのでしょうか。
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  • 2024年10月3日(木)放送「栗東市」
    2024/10/24
    栗東で「空き家を利活用する取り組み」をされているNPO法人くらすむ滋賀は 活動を続ける中で、地域の方々と交流する機会が増え、地域の名物料理である 「豆腐田楽」を提供するお店の運営に取り組むことになったそうです。 その思いをお伺いしました。
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  • 2024年9月26日(木)放送「栗東市」
    2024/10/24
    東大寺の創建に関わった「良弁」が開基したと伝わる「金勝寺」。 その歴史は、733年、天平5年に始まったとされており、およそ1300年の歴史を持つお寺。 静かな、古い佇まいのお寺は、参道を登りつめたところに仁王門。そして一段高いところ、正面に 本堂。その手前右側には二月堂が建ち、それぞれの建物内には仏像が安置されています。
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    19 分
  • 2024年9月19日(木)「栗東市」
    2024/09/30
    先週に引き続き栗東市の歴史についてご紹介します。 奈良時代にできた、クニ・郡という地方制度のなかで、栗太郡(古くは栗本郡とも記される)の役所跡が 栗東市の岡遺跡から見つかりました。古代の「栗太郡」は交通の要衝であり、また一時、都が造営された「保良宮」や「紫香楽宮」にも近かったことなどから重要な位置を占めていたようです。 昭和29年には治田・金勝・葉山・大宝の、4つの村が合併し誕生した新しい町は、「栗太郡」の「東」にあった村が合併したから「栗」と「東」で「栗東町」と名付けられました。
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  • 2024年9月12日(木)放送「栗東市」
    2024/09/30
    栗東市の地面を掘ると、集落遺跡、古墳、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代と様々なバリエーションで出土するんだそうです。最も古いのは1万数千年前の石槍。栗東のまちでナウマンゾウやオオツノシカなどの大型獣を当時の縄文人が石槍で狩猟していた姿を想像してみるのも面白いですね。
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  • 2024年9月5日(木)放送「栗東市」
    2024/09/30
    栗東市と言えば、日本に2箇所しかない競走馬の調教施設が全国的に有名ですが、近江富士と呼ばれる三上山よりも高い場所にある素晴らしい眺望の「横ヶ峯展望所」や県下最大規模生産をほこる「栗東いちじく」など、いろんな魅力がいっぱいです。
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  • 2024年8月29日(木)放送「湖南市」
    2024/08/30
    湖南市石部地区に伝わる小さな寄り合いが「豆講」。講とは講座の講、仲間内の寄り合い、宗教や金融関係、ある目的をもって何人かで集まる、今でいうグループやサークルのようなものですね。同じ年代やちょっとした仲間内5~6 人で集まり、仕事終わりの飲み会やお昼のお茶会が多かったようです。その時につまむお菓子として一般的だったものが畑でとれる「ソラマメ」だったので自然に「豆講」と呼ばれるようになったそうです。今でも石部地区には「豆講」文化が残っているそうですよ。
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    21 分