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サマリー
あらすじ・解説
毎日を鳥のようにうたってくらし、疲れをおぼえることがないくらい楽しかった、”教師”という仕事を、賢治は辞めることにしました。なぜ辞めたのか。そんな回です。 =========================================== 【内容】 0:00 今回は賢治が教師をやめる話です。
1:44 1926年3月31日に辞めました。”ほんとうのお百姓”になるために。ほんとうのお百姓とは何でしょうかねぇ。仏教と関係があるそうですが。
3:48 辞職理由と考えられる事①教師という立場では賢治のやりたい事ができなかったのでは。
4:43 『或る農学生の日誌』より「どこへも相談に行くとこがない。学校へ行ったってだめだ。……先生はああ倒れたのか、苗が弱くはなかったかな、あんまり力を落としてはいけないよ、ぐらいのことを云って笑うだけのもんだ。」
6:58 『植物医師』とは関係がある?
7:47 農民と教師の隔たりは感じていたのかなぁ。
11:09 賢治の元教え子の畑山さんが書いた本『教師 宮沢賢治のしごと』から、辞職の外的要因として考えられる事
12:42 辞職理由と考えられる事②農業指導のやり方を国に厳しく批判された。
14:50 私たちの頃は自由記述ってそんなに無かったような。今は自由記述問題多いのかな。
17:07 県立の岩手国民高等学校で講師をやったら、そこの主事から批判された。
19:00 賢治スタイルの授業は、当時の就職や進学のテストには不利だったのもまた事実で、他の学校に移ってしまう生徒もいた。
20:52 辞職理由と考えられる事③1924年に学校演劇禁止令が出された。
21:43 辞職理由と考えられる事④校長先生が代わった。寛容な校長先生から、権威主義的な校長先生へ。
23:38 辞職理由と考えられる事⑤政治郎の議員選出馬と校長殴打事件。暴力はいけません。
26:25 まとめ。
28:38 賢治の高校の志望動機を思い返すと、なるべくしてこうなった気がします。ということで1926年4月、農民に農業や化学、芸術を教える場として羅須地人協会を発足しました。
参考にした本
『教師 宮沢賢治のしごと』 畑山博 著 ============================================ 【のっそのっそについて】 伊豆の2人。 このラヂオや、移動式のブックカフェNosso Nossoを営業したりして糊口をしのいでいます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【のっそのっそのSNS】 Instagram→ https://instagram.com/nossoxnosso546 Twitter→ https://twitter.com/nossonosso3 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【おたよりフォーム】 https://forms.gle/BmvLBSWsppshjn5L6 文豪ラヂオはお便りを募集しています。内容は文豪に関係あろうがなかろうが、何でも構いません。お待ちしております。お気軽に。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【BGM】 ・フリーBGM・音楽素材MusMus様 https://musmus.main.jp ・OtoLogic様 https://otologic.jp/