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サマリー
あらすじ・解説
今回は羅須地人協会をつくったものの体調を崩し夢半ばで断念。その後、サラリーマンとなった賢治はどんな思いで働いていたのか。サラリーマンになるきっかけとなった、鈴木東蔵さんとはどんな人なのか、そんなお話です。 【訂正】賢治が東北砕石工場で働いていたのは、「1年」ではなく「1931年2月〜9月の7ヶ月」でした。訂正します。すみません。 =========================================== 【内容】 0:00 なぜか棒読みの始まり。前回、教師を辞め、羅須地人協会を作ったけど、病気になってしまっていました。 4:41 今回は1931年(昭和6年)35歳の賢治の話。鈴木東蔵さんについて、賢治がサラリーマンになる経緯、どんな想いで働いてたか、あたりをお伝えできればと。 5:48 まずは、鈴木東蔵さんの【半生】。東北砕石工場の創業者、賢治の5歳上。農家の生まれで小学校卒業後は役場の用務員として働きながらも通信教育で勉強、16歳で役場の書記となり、「疲弊した農村の救済」という理想を持ち頑張っていた。31歳で役場の仕事を辞め、雑誌記者などを経て、1924年(大正13年)に東北砕石工場を創業。 11:03 続いて東蔵さんの【人柄】。ポクポク歩いて考え事に熱中してるから、周りの事にあんまり気づかないよ!思いついた時の奇声は名物だよ! 13:13 続いて東蔵さんの【性格】。「思いついたら直ちに行動を起こし、一途に突っ走る。無口で純朴だが、ユーモラスがあって、子供が大好き。世話好きで、無類のお人好し。」 まるで賢治のようですね〜 15:41 東北砕石工場とは、その名もズバリ、石を砕く工場。石灰石を細かく砕いて、石灰石粉を製造していた。酸性土壌の中和に使用されるよ。 17:44 1929年、突如、花巻市の商店からの発注が無くなり、東蔵さんは花巻市へ。そこで肥料の神様の存在を知り、お家を訪ねます。神様は病気にかかっていて重篤な状態だったため、面会は短めに、ということで2時間だけ話して帰りました。 20:46 その出会いの後も交流は続き、1931年に神は東北砕石工場の技師として働くことになりました。ここではゴッドファーザーがうまくまとめて、花巻出張所を作り、そこで家族のサポートも受けつつ、神、働く。 23:18 盛岡高等農林学校からの恩師・関豊太郎教授も喜んでくれた。イェイ! 24:44 ちなみに宮沢家から工場に500円貸した。 25:59 ここから神はめっちゃ働く。7ヶ月で50回出張したり。みんな頑張って工場の生産量は10トンから25トンに。 27:39 東北砕石工場の作業員の人たちとも交流を深めた。 30:24 『雨ニモマケズ』は当時の東蔵さんや作業員の人たちとの交流や仕事を通して、感じたことなのでは。 32:29 【感想】もう自分は長くないと思ってたのでは/『雨ニモマケズ』には悔しさも見えるなぁ/デクノボーの話 38:23 おしまい 参考にした本 『科学者としての宮沢賢治』 斎藤文一 著 『宮沢賢治のちから』 山下聖美 著 『図説 宮沢賢治』 天沢退二郎/栗原敦/杉浦静 編 『兄のトランク』 宮沢清六 著 ============================================ 【のっそのっそについて】 伊豆の2人。 このラヂオや、移動式のブックカフェNosso Nossoを営業したりして糊口をしのいでいます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【のっそのっそのSNS】 Instagram→ https://instagram.com/nossoxnosso546 Twitter→ https://twitter.com/nossonosso3 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【おたよりフォーム】 https://forms.gle/BmvLBSWsppshjn5L6 文豪ラヂオはお便りを募集しています。内容は文豪に関係あろうがなかろうが、何でも構いません。お待ちしております。お気軽に。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【BGM】 ・フリーBGM・音楽素材MusMus様 https://...