• #93【通史】世界史⑤イスラーム世界の形成15:マムルーク朝
    2025/06/06

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第84回目はイスラーム世界の形成「マムルーク朝」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    13世紀後半、第7回十字軍がエジプトに進行してきたさいに、奴隷軍団がクーデータを起こしてアイユーブ朝を滅ぼした。マムルーク朝を建設し、十字軍やモンゴル軍を撃退する。生き残ったアッバース家の一員をカイロに招き形だけのカリフに据えた。

    歴代の代表者は、カリフからスルタンの地位を与えられる形をとることで、イスラームの防衛者として地位を固める。西アジアからキリスト教勢力を一掃、14世紀前半にはイルハン国と和約し統治を安定させた。


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  • #92【通史】世界史⑤イスラーム世界の形成14:アイユーブ朝
    2025/06/04

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第83回目はイスラーム世界の形成「アイユーブ朝」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    11世紀、十字軍により地中海東岸にイェルサレム王国が建設された。セルジューク朝は内紛で積極的な対応ができない中、エジプト・シリアを治めるアイユーブ朝のサラディンが、奪回に成功する。

    彼はシリアの地方政権から頭角をあらわし、1169年にファーティマ朝を倒してスンナ派のアイユーブ朝を開く。その後イェルサレムを奪回し、再び手に入れようとする第3回十字軍と戦いイギリス王のリチャード1世と講和する。

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  • #91【通史】世界史⑤イスラーム世界の形成13:アッバース朝の滅亡
    2025/06/02

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第82回目はイスラーム世界の形成「トルコ系イスラーム王朝3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    11世紀になると、アッバース朝のカリフはバグダードとその周辺のみを治めるだけとなっていた。ブワイフ朝により名目的な存在となるが、セルジューク朝により救出される。しかし政治権力を回復することなく、1258年、モンゴル軍の来襲により滅ぼされた。遠征軍を率いたフレグはバグダードを占領してカリフを殺害し、約500年続いた王朝は消滅した。彼がイラン・イラクに建てたイル=ハン国は、当初イスラーム教を軽視したが、ガザン=ハンの時代に国教とした。


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  • #90【通史】世界史⑤イスラーム世界の形成12:トルコ系イスラーム王朝3
    2025/05/30

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第82回目はイスラーム世界の形成「トルコ系イスラーム王朝3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    977年、サーマン朝の地方総督であったトルコ系のマムルークが、アフガニスタンにガズナ朝を建国する。11世紀には北インドに遠征し、イスラームのインド進出の先駆けとなった。11世紀前半にセルジューク朝に敗れイラン領を失い、12世紀にアフガン系のゴール朝に滅ぼされた。

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  • #89【通史】世界史⑤イスラーム世界の形成11:トルコ系イスラーム王朝2
    2025/05/27

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第81回目はイスラーム世界の形成「トルコ系イスラーム王朝2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    トルコ人のイスラーム化は、イラン系イスラーム王朝の影響が大きい。力をつけたトルコ系遊牧集団がカラハン朝をたて、999年にサーマン朝を滅ぼし、中央アジアのオアシス地域に進出した。トルコ語を話す人々が増え、トルコ人の土地を意味する「トルキスタン」と呼ばれるようになる。


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  • #88【通史】世界史⑤イスラーム世界の形成10:トルコ系イスラーム王朝
    2025/05/25

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第80回目はイスラーム世界の形成「トルコ系イスラーム王朝」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    トルコ系民族のセルジューク族が、中央アジアから西アジアに大移動する。ブワイフ朝の混乱に乗じてイランの大半を征服しセルジューク朝を建設する。アッバース朝のカリフからブワイフ朝の討伐を要請され、バグダードを陥落させて入城する。

    族長のトゥグリル=ベグは、カリフからスルタンの称号を与えられた。宗教的な権威はアッバース朝のカリフが、政治と軍事の権威をスルタンが持ち、中央アジアから小アジアに至る領域を支配。シーア派のファーティマ朝に対抗した。


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  • #87【通史】世界史⑤イスラーム世界の形成9:アッバース朝の弱体化
    2025/05/22

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第79回目はイスラーム世界の形成「アッバース朝の弱体化」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    10世紀のアッバース朝では、トルコ系のマムルーク(奴隷軍人)の台頭などによってカリフの権力が弱まっていた。シーア派のブワイフ朝がバグダードに入城、カリフから大アミールの称号を得て統治の実権を掌握した。

    現金を支給するアター制から、土地の徴税権を与えるイクター制に変更し、この方法は後の王朝も広く用いるようになる。

    イベリア半島に後ウマイヤ朝、エジプトやシリアにファーティマ朝、中央アジアにサーマン朝と、各地に政権が並び立ちアッバース朝の支配は名目的なものとなっていった。



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  • #86【通史】世界史⑤イスラーム世界の形成8:3人のカリフ
    2025/05/20

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第78回目はイスラーム世界の形成「3人のカリフ」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    アッバース朝の成立後、ウマイヤ家の王族がイベリア半島に逃れ、コルドバを都に後ウマイヤ朝を建てた。キリスト教徒・ユダヤ教徒・ムスリムが共存し、独自の文化が繁栄した。

    アブド=アッラフマーン3世のころに最盛期となり、カリフの称号を用いるようになる。

    理由は、首都をカイロとするシーア派のファーティマ朝がカリフを名乗ったため、対抗する必要があったからだ。このためイスラーム世界には3人のカリフが並立することになった。


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